母の圧迫骨折からのいろいろここには書けない苦労が……
わたしも正直、半分、倒れてたりしましたが、なんとか、がんばってます。母もわたしも。
ご心配おかけしてすみませんです!
昨年、ちひろ美術館で観たショーン・タンの待望の新作が出ました、うれしい!
「内なる町から来た話」(ショーン・タン 岸本佐知子訳 河出書房新社)
25話の短編集で、文章量が思ったより多く、読むのには本が大きくて分厚く腕が痛い。
だがしかし絵はもっと大きな判型で観たいくらい……(展示されていた原画が大きかっただけに)と、ジタバタするこれ!
でももちろん……素晴らしかったです。
本作は動物(や魚や虫)の連作になっていて、人間の暮らす町に忽然と居る姿が描かれた絵が多く。
ショーン・タンの作品にはいつも共通して世界との違和感とか、ずれとか、孤独があり、これもまたその新しい表現なのかなぁ。あといつも、物語が絵の「説明」になっていないのがとても良いです。
いっぺんに読むより、日々ちょっとずつ読みたい本。(と言いつついっぺんに読んじゃったんだけどね)
お気に入りの一篇をみつけるのもたのしいと思う。その時々で変わるかも知れないしね。誰かと話したくなる。
わたしはどれか? いまのわたしはねぇ、意外でしょうが、「サメ」。
たまたまですが、続けて、絵と文章の本を読んだ。こちらはエッセイ。
「ざらざらをさわる」(三好愛 晶文社)
この絵も、好きなのだ。「初のエッセイ集」ということですが、面白い。「へんな人だなぁ」と思うんだけど、たまにわたしも似たようなとこがあったりして、おやってなる。
(ところでこの本の帯に翻訳家、岸本佐知子先生の推薦コメントがある。なにか岸本さんだらけ!)
それから、この本のあとがきに書かれていることを読んで、「うーん。そうかもしれないねえ」と思った。(抜粋しないから気になる方は本を買って読んでください)
自分の力ではどうしようもないことばかりで、孤独を突きつけられているようで、でも自分から手に入れたい孤独もまたあるのだ。例のあの、おなじみの。使い古しの毛布みたいなやつ。