4月に入ってようやく、母との面会ができた。写真は持って行った、いちごと、デコポンの差し入れ。
母は果物が大好きなのだが施設の食事にはなかなか、出ないものなので。
面会では母はいつもそうだが、とてもよろこんでくれる。
でもそれ以外はずっと不安訴えが強く、わたしはもう困りに困っている。このところは夜もよく眠れず。
もう少しちょくちょく顔を見せられたら良いのだけど、第七波だかなんだか知らないけどコロナ感染者増加傾向なのでまた面会禁止になるかも、と毎日モヤモヤしている。ほんとうにやってられない。愚痴以上。
最近、読書があまりできずにいて。言い訳をすると仕事で原作を読んでいるとほかの物語にうまく、入っていけなくなる。いや、売れっ子ライターで何作品も手がけている方こそ読書量も多かったりするから、こんなの言い訳にもならないんだけど。自爆。
で、ちょっと久しぶりに長編小説を読んだ。角田光代「タラント」(中央公論新社)。
なるべくなにも情報を入れないようにして読みはじめたのだが、それでよかった。
長いし(新聞連載小説だった)、淡々と続くのだが、不意打ちのように心が大きく動いて、ふわーっとどこか遠くへもっていかれるような瞬間があって、小説を読むたのしみってこれだよなぁとしみじみ思った。
ところで主人公の故郷が四国で(讃岐。うどん屋さんである)、讃岐弁が懐かしかった。
わたしの父母は香川県生まれで、わたしはほとんど行ったことがないのだが、子供の頃は二人の讃岐弁に染まっていたせいで、小学校に行ったくらいから自分がたまに「なまっている」と気づいてビックリしたものだ。
読みながら、「えらい」が「疲れる」って意味って読者にわかるのかな? とくすくすしてしまった。
父は晩年まで、もうこっちで暮らしてる方が長い癖にことさら讃岐弁を使っていた。自分がかかった病気のことを、
「この病気は、どこも痛くないが、ただ、えらい」
ってなぜか得意げに、落語のオチでも言うかのように言っていた顔を、久しぶりに思い出した。