「酒と肴」のブログ記事一覧
やっとお酒をゆるっとぼちぼち、飲みはじめています(家で)。
でもストレスが重なったためかわたし、あっちこっち具合悪いのよ!
そして緊急事態宣言も延長(最初から一か月で終わるとは思えなかったが)、面会禁止も延長、母は不調続き。増えはしてもいっこうに減らないストレス。
ぱっとしないので、花の写真でも、と。去年夏のだけど。「アメリカン・ブルー」という名前の花。
この花、はじめて買った。毎朝、花が新しく咲くのでちょっと驚いた。次々咲いて、冬までかなり長い期間、咲いてくれた。ずいぶんと心なぐさめてもらいました。この青色がなんとも言えない、いい色で。
なかなか劇場にも行けず、昨年春からは配信でちょこちょこ観劇している。
演劇もライブも、配信は「苦肉の策」ではあるが、利用する身のわたしにとっては配信は非常にありがたいもので。ありがとう! と言いながら毎回、観てます! あ、でもなんでだか生配信のタイミングが合わないことがあり、そんな忙しいはずないんだけどね。観たいものの配信に限って、時間が合わなかったりする。それでアーカイブで観るのだが、この芝居もう終わってるんだね……と思うと何かちょっと寂しいのが不思議。
でもこれまで観たものはすべて、面白かった。
大きな劇場のものも、小劇場のものも、ジャンルも違うものを観てるのだけど、それぞれたのしんだ。
そりゃもちろん劇場で観た方がいいに決まっているが、配信は配信でしっかりたのしめるものだ。
(観ながら頭のなかで劇場の空間を少し補足して観ているのかもな、とも思う)
でも自分が配信をやってみるかというとそれはまた別で。
ゴゴアメの朗読は小さなスペースで、と拘ってきた。そしてその空間にいることで「体験」してもらうもの、として作ってきたので。
公演を観に来てくださった方にはたぶんわかると思うのだが。
配信やるなら、なにか別の発想でできるといいけどね。
ゴゴアメの公演はもともと「なくてもいいもの」だと思ってきたし、ここにもそのようなことを書いたことがある。ただ「ないとつまらない」とわたしは思うから、やってきた。
だからこの状況下でも「なくなると困る」とは言わない、思わない。
でもねえ、そろそろ、ささやかなことに耳を傾けたりする時間も、ほしいよね。
いまなかなかどこへも行けないひとたちに、こそっとたのしめるなにかが、わたしはやりたいよ。
あ、ゴゴアメtwitter、すてきなアイコンをつくってもらいました。林拓郎さんデザインです。
よかったら覗いてやってくださいませ。@gogoame55です。
せっかくなのでわたしだけでなく、明日香座長、まりちゃんにもツイートしてもらうことにしました。
公演のめどもたたないので日々の雑記ですが、二人のおかげでなんというか、カラフルになりました。
そんなわけで、正月用の料理もなんにもつくらなかった。けど、白味噌のお雑煮だけはつくった。
わたしの父母は四国、香川県の生まれで、そちらのお雑煮はこの白味噌らしい。らしい、と言うのはわたしは本場で食べたことも見たこともないから。
母は昔は関東風と白味噌と、日替わりでつくってくれた。
わたしは大人になってからはこっちの方がなぜか好きで、自分ではこっちをつくるようになった。
二日に、母との面会に行くことができた。
いつ面会禁止になるだろうとハラハラしたがどうにか行けた。
面会に使われている「面談室」で昨年、一昨年の正月は母を囲み家族で持ち寄ったお正月料理を食べた。
もちろん今年は無理だと分かっていたけど、母は、あたらしいセーターを送ったときに「お正月に着ようかな」などと言ったりして(メールだけど)、どう答えていいかわからなかった。
母のいる介護施設では、月二回、面談室を予約して一回三十分、二名までの面会が出来るようにして頂いていた。
行く度に対策は厳しくなっていき、部屋に入るまでには検温やチェックシートの記入、そのつど手指の消毒をし、手を洗ってうがいをしてまた消毒、更にビニール手袋をする。マスクはもちろんだがフェイスガードを家族も本人もつけた上で、アクリル板越しでの面会である。
それでも母は面会時はいつもとてもよろこんでくれる。(メールではしょっちゅう不安定なのだが)
わたしが思うに、特に、弟と一緒だとニコニコしている。
弟がいないと、なぜかトイレに行きたくなったと連れて行かされる。
ひとの顔を見てトイレに行きたくなるのはやめてほしい。三十分しかないのにトイレに連れて行ったらほぼそれだけで終わってしまう。
まあ三十分もあるのはおそらく良い方だとは思う。けど、母とはボードに書きながらの会話なので、あっという間。
この頃ようやく母もこの状況がのみこめて、時間を大事にしてくれるようになった。
別れ際に「時間短い~」と言うので、強めに「またメールで。ね!」と言うとわかったと頷いていた。
そして七日、一都三県、母のいる神奈川県含め再びの緊急事態宣言が出て、それを受けた形で面会禁止になった。
感染者数が急増し、医療もひっ迫しつつあるそうだから、『緊急事態宣言』はむしろ遅く感じたが。
面会できないというのは本人には、ほんとうに厳しいことだと思う。
わたしたち家族にとっては会えないさみしさはあるにはあるが、面会そのものより、やるべきことができないことの方が実は問題である。
入居フロアに入れなくなってからもうじき一年が経つ。部屋の片付けもしてあげられないし、歩行の練習もしてあげられない。わたしたちの場合はそうだがほかにも人によって家族がやっていたことはさまざまあるはずだ。施設にそれらすべてを任せるのは無理である。介護士さんたちがどれだけ忙しいか。
本人たちにストレスが溜まれば介護士さんたちも、やりにくくなる。面会で本人のストレスを少し解消できれば、最低限、家族の役割を果たせる。
だからまずは面会から、徐々にできることが増えていけば、と願ってきたのだが。
非常に悔しい。
面会を維持してきてくださった施設職員さんたちにはただ感謝である。
昨年、面会禁止になったときは母はけなげに「いますこしの辛抱」と繰り返し言っていた。
まるで自分ががんばっていたら、世の中が平和になるとでもいうように。
「これはとても長くかかる。だから、がんばりすぎないで」とわたしは時々答えた。がっかりさせたくなかった。
母には「け。長くだって。あやはきびしいなあ」と思われてるんだろうけど。(家に通い介護の頃、母によくスパルタ、と言われていた)
世の中にとって、動けないお年寄りががんばってるだなんて、きっとどうでもいいことなのだろう。
でもがんばってるんだよ。
若い人には想像つかなくても仕方がない。でもなんで想像つかないんだ、政治家のお年寄りたちは!?
悪いがそれがわたしにはサッパリわからん。
正月だというのにクリスマスニッセの写真だけどごめん。
我が家では年末にアクシデントがあり、まったく落ち着かない年越し、年明けでした。
年末年始を禁酒で過ごしました。え、酒飲み夫婦が。そう我々が。
いいお酒も買ってあったんだけどね、もうしばらくお預けです。
新型コロナは感染拡大し、もうちっともこれっぽちもおめでたい気分ではなかったですが、それでもあけましたね、おめでとうございます。
今年は年賀状も書かなかった。ごめんなさい! ごめんなさい!
ほんとうにきつい一年でしたね。
ひとによっては、コロナ禍で良かったこともあった……余計な会議が減った、などという方も多くいますが、わたしはもともと家で仕事しているというのもあり、結論から言って、いいことは一つもなかったです。(あーこう書くとせいせいするな! もう一回書こう、一つもなかった!)
いや、日々ささやかないいことはありましたがそれらはすべてコロナ禍とは関係ないものです。
ゴゴアメ公演もできなかった。
さまざまなことが困難ないま、ゴゴアメ、は別に、『のんびりやればいいじゃないか』ですよね、わたしもそう思うのです。
しかしわたしは考え続けるしかなかった。
考え、忸怩たる思いでじくじくし、出来ることと言えばささやかな寄付をしたり、世を拗ねたり、どうしてかねじ曲がってきたり、とことんねじ曲がったり、見た目はむっつりし、主にウツウツとふとんにもぐりこんでスマホを見ていたり、していました。
情けないことです。
でもそれがわたしです。
そんなわけで本来、ゴゴアメ公演のためのこのブログも当然、なかなか書けなかったし、もはやこのページを読んでいる人は誰もいないかも、なのですが時々、思い出して覗きに来てくださる方、ひょっこり通りがかった方、誰かが一人でもいる限り、書きます!!
いや、もし誰もいなくても、もうちょっと、今年は書こうかなと思います。
ふらっと遊びに来てくださるとうれしいです。
とっても。
十五夜は見られましたか。今年の十三夜は、今月29日だそう。
ゴゴアメで『クライマガコの恋と十三夜』という作品をやって以来、気になるのだった。
母の圧迫骨折その後、先月末に成形外科への通院あり。
今回は母は車椅子に座れる状態で行けたので、寝たままだった前回よりはかなり楽だった。というか前回はほんとうにたいへんだった……火事場のバカ力的にやってたけど……
そして本人はわたしと一緒に過ごせて、うれしがっていた。もう気分は遠足状態。病院なのに……痛いのに……悲。
でも当日は天気も良く、外に出られた(外の空気をほとんど吸ってないが)のはほんとうに良かった。
この一年じゅう、施設の外へ一歩も出られなかったとなったら、悲しすぎる。
母は最近、いろいろ忘れるようになって、それで混乱し不安を訴えることもでてきた。
歳をとって自然な流れではあるが、この状況で面会もできず、部屋に閉じこもっていたら、当然、年寄りはみんな認知症が進む……ずいぶんはじめにそうなるだろうと思ったとおりになっていくのがなんともやりきれない。
本人たちばかりではなく、介護士さんたちにすべてをいつまでも任せきりにするなんてムリだと思う。介護士さんたちの精神的な負担も気がかり。みんな疲れてしまうよ。
でも母のいる施設のスタッフさんはなにかと連絡くださり、いまも『一緒に』連携してやっていこうとしてくださっているのが非常にありがたく、わたしにとっては救い。
しかし、最近になって対策が更に厳重になって、用事ができて面会と別に事務所宛に伺ったときは、前よりしっかり窓口はビニールカーテンでしっかり隔てられ、館内に入るドアも閉じたままの対応になっていた。もちろんその方がみなさんのためには安心である。でもやはり、なんとも言えない気持ちになった。
世の中の流れとのギャップもすごくて。帰りに通って行く街は、少し前とは違って人出で賑わっていて、レストランやカフェも混み合っているように見える。まあそうなっているからこそ、介護施設では厳重にしていくしかないのだろうなとも思う。
いろいろ思う。書こうとすると、思っていることの半分もうまく書けない。今日はこの話はこの辺で。
写真は、だいぶ前になっちゃったけど、まりちゃんとオンラインお茶会をやってみた、ときの。
お互いにおやつを贈りあい、同じおやつを食べてみた。もっとちょくちょくやりたいし、もっと人数増やしてもたのしそう。でも時間を合わせるのがなかなか、ね。
最近やっと、明日香とオンラインではなく、会ってお茶した。マスクして、小一時間、と決めて。そんなのたのしいか? と怪しんでたけど、やっぱり直接会えるのっていいね。
人の持っている空気、みたいなのが、会ったあとしばらくこう、心に残って、それがいい。
重たい話を笑いながらしたよ。しばらくぶりだけど、それはいつもながらに、だった。
母の圧迫骨折からのいろいろここには書けない苦労が……
わたしも正直、半分、倒れてたりしましたが、なんとか、がんばってます。母もわたしも。
ご心配おかけしてすみませんです!
昨年、ちひろ美術館で観たショーン・タンの待望の新作が出ました、うれしい!
「内なる町から来た話」(ショーン・タン 岸本佐知子訳 河出書房新社)
25話の短編集で、文章量が思ったより多く、読むのには本が大きくて分厚く腕が痛い。
だがしかし絵はもっと大きな判型で観たいくらい……(展示されていた原画が大きかっただけに)と、ジタバタするこれ!
でももちろん……素晴らしかったです。
本作は動物(や魚や虫)の連作になっていて、人間の暮らす町に忽然と居る姿が描かれた絵が多く。
ショーン・タンの作品にはいつも共通して世界との違和感とか、ずれとか、孤独があり、これもまたその新しい表現なのかなぁ。あといつも、物語が絵の「説明」になっていないのがとても良いです。
いっぺんに読むより、日々ちょっとずつ読みたい本。(と言いつついっぺんに読んじゃったんだけどね)
お気に入りの一篇をみつけるのもたのしいと思う。その時々で変わるかも知れないしね。誰かと話したくなる。
わたしはどれか? いまのわたしはねぇ、意外でしょうが、「サメ」。
たまたまですが、続けて、絵と文章の本を読んだ。こちらはエッセイ。
「ざらざらをさわる」(三好愛 晶文社)
この絵も、好きなのだ。「初のエッセイ集」ということですが、面白い。「へんな人だなぁ」と思うんだけど、たまにわたしも似たようなとこがあったりして、おやってなる。
(ところでこの本の帯に翻訳家、岸本佐知子先生の推薦コメントがある。なにか岸本さんだらけ!)
それから、この本のあとがきに書かれていることを読んで、「うーん。そうかもしれないねえ」と思った。(抜粋しないから気になる方は本を買って読んでください)
自分の力ではどうしようもないことばかりで、孤独を突きつけられているようで、でも自分から手に入れたい孤独もまたあるのだ。例のあの、おなじみの。使い古しの毛布みたいなやつ。