ニュース見たら腹立って、何もかも嫌になりますが、怒ってばかりも疲れますね。
と光さんがメールをくれた。ゴゴアメの写真をいつも撮ってくれている本田光さんである。
ふと思い出してメールをくれ、とてもうれしかった。
わたしは腹を立てる気力さえなくなり、何をしていても悲しくなるばかり……になっていたから。
メールで少しお喋りをした。
家で映画を観ているという話から、「イエスタデイ」をおすすめしてもらったので、さっそく観てみた。
なにかたのしいのが観たかったところだ。
「ビートルズのない世界線」になぜか来てしまった(ぼくだけがビートルズを知っている!)という、まぁほんとそれだけではあるんだけど、ビートルズの名曲の数々とファンタスティックな映像が心地良く、すてきな映画だった。ほんとうは映画館でポップコーンを食べながら観るのにふさわしい映画だ(オッフ……!)
そう、いまこの状況で観ると、笑いながらもなんだか、胸に迫るものがあった。
いまや現実が、不条理な世界線に来てしまった……みたいだものね。(と、光さんにメールした)
時々、想像してしまう。目が覚めたら元の世界に戻っていて、この長い悪夢のことを、夫を相手にたどたどしく話すのだ。
「よく覚えてないんだけど……未知のウィルスが猛威をふるっている世界線で」「疫病! 怖!」
「感染防止のために人が距離をとるしかなくて……」「きつそうだね……」
「首相は一世帯に2枚布マスクを配って……」「なんで2枚!?」
ホントわけわからないことばっかりだった、と笑いながら、でもたぶん泣きながら話し、最後に「ほんとうに、怖かった」って言うだろうな。
……オッ……フ……
胃に来る日々です。少しの仕事と、手間が増えてなんだか時間とられる家事以外の何もできず苦しい。しかし、日々、がんばってなるべく「何もしない」ということをしているわけでもあります。これ……性に合わないよ……何かするよりしないというのはこれほどキツいことだったかと思わされてる。自分にいまできることといえば署名やささやかな寄付くらいで……
医療、介護、それから休業せざるを得ず危機に陥っているさまざまな業種を支援するための寄付、クラウドファンディングが立ち上がってきていますが、ひとつだけ、ここに書かせてください。
ゴゴアメ公演を何回も行ってきた、APOCシアターさんが参加しているクラウドファンディング、「小劇場エイド基金」です。
支援はまだまだ足りないところだと思います。
ゴゴアメ公演にいらしてくださったみなさま、もしも、ああ、すてきな会場だよね! と思い出してくださったらどうかこちらをご覧になってくださいますよう、お願いいたします。
https://motion-gallery.net/projects/shogekijo-aid
↓そのAPOCシアターさんでの公演の、そして本田光さん撮影の写真展です。
★ゴゴアメ2019年12月の朗読公演の写真展、「常設中」です。上のボタン、またはこちらから
なんと5月である。
写真は4月のある、風の強い日。買い物に出たときのもの。
いつの間にか空を見あげることも忘れてしまっていたみたいで、気がついたら花水木が満開だった。
母にメールでこの写真を送ったら、よろこんでくれた。こんな写真見ても、外に出られないのが悲しくなるだけかなぁなどと送るまで悩んだが、よかった。
これほど長く会えなかったことはない。けど、母はがんばり続けてくれている。
もちろんそれは職員さんたち看護師さんたちががんばり続けてくれているおかげでもある。
もう……感謝という言葉では足りないよ……
自分のことばかりではなく医療、介護の現場のいろいろな報道やまたは報道されないことについて日々たくさんのことを思い、考えますが思いはぐちゃぐちゃです。胸が張り裂けそう……なので、この話はここまで。
時間はあるはず、なのだが、時間がどこかへするすると逃げていってるらしい。
窓開けて換気をしている間に外へ逃げてるのかもね。(冗談ですよ。まだ正気です。いやだいぶ正気を失いつつあるかもしれないなとよく思うけども。あなただってそうでしょう?)
食事して洗い物して掃除して手を洗って手を洗って、落ち着かないけどなんとかすこし仕事して(やっと集中してきたなぁというほんの短い時間が一番のしあわせ)、食事して洗い物して掃除して手を洗って手を洗うともう夕方でその頃はなぜかフラフラにくたびれている。
本があまり読めなくて。時間さえあれば本読んでいるのがしあわせだったのだけど。残念ながらいまは集中力が保てない。
それで思ったのだけど、読書は自分の頭の中でイメージしていく作業で、そこが醍醐味なのだけど、映画観るのってもちろん自分の頭と心をつかうけど、でもどっちかというとこう、身を委ねるのが大事、ってとこがあるじゃない?
実はわたしはそれがすこし苦手なのです。
でもいまは「現実逃避」から、身を委ねることがやりやすいみたいで、だからけっこう映画は観てる。
この数年は母の介護で忙しくなかなか映画館に行けなかったので、観てない映画は山ほどあってネタに困らないし。
あまり選ばずに、あんなのもこんなのも、と相当な雑食で観てます。
観はじめはたいがい、「あ、いま顔触ったな……」とか「近!」とか「人、多!」とか余計なことに気をとられるのだけど、そのうち現実を忘れ作品世界にどっぷり浸かっている。それがどんな世界でも。
自信もって言える。わたしはすごくいいお客さんです。
で、なにが面白かったか、というと、みなさんもう既に観ているものを書くのは面白くないかなぁと思うけど、そのうちまた書きます。
★ゴゴアメ2019年12月の朗読公演の写真展、「常設中」です。上のボタン、またはこちらから
おととい7日に「緊急事態宣言」発令。七都道府県対象、5月6日まで。
わたしの暮らす東京都と、母のいる神奈川県も入っている。
先週は毎日のように悩んでた……たぶんこの状況では……と思ったとおり、母がお世話になっている介護施設も緊急以外、一切、面会禁止となった。ならなかったとしてももう面会は厳しいと思った。
いろいろ考えたけど結局、施設に電話で許可を得てから3日金曜、母に届けものだけしてきた。(事務所に預け、本人に渡してもらえる)
ちょうど事務所に施設長さんがいらっしゃったので、よろしくお願いしますと頭を下げてきた。
本人、わたしが現れずだとかえって不安になるかとも思ったのだが、あとからメールでことのほかよろこんでくれたようだった。
届けものの小銭入れ(自販機で飲み物を買うための)がかわいいとか、ささやかなことでうれしそうだった。
なので、行けてよかった。しかしこれでもう当面、届け物にも行かないと決めていた。行くだけで緊張してしまう。ウィルスを運んでしまわないかと……
もちろん細心の注意をはらっているが。だから緊張する。
先々週(3月26日)短い面会に行ったとき、別れぎわに、母の方から拳のぐーを出してくれたことを思い出す。
この間に何度か、わたしが拳をぶつけあうのをやったから、覚えてくれたのだ。
2月に面会制限になった時はここまで積み上げてきたものが、あっけなくゼロになったと思っていたけど、そうではないのかもしれない、と思うようになった。なくなったのではない。積み上げてきたものはあって。だからいまがあるのかもしれない。そう思いたいのだ。
それからいまも。マイナスばかりじゃない。いまも未来へなにかを積み上げているはずなのだ。
話題を変えます。
写真の、とてもきれいな表紙のこの本は……
「アルジェリア、シャラ通りの小さな書店」カウテル・アディミ 訳/平田紀之 (作品社)
もうだいぶ前に読んで、ここで紹介したいと思っていたのに、それはもういろいろなことがあって……あり続けるのでね……でもたまには本の話でも、と。
本屋さんの話、というだけでもう読みたくなる、という方々はぜひ!
史実に基づいた小説。カミュの小説を出版し、売った若き本屋の物語と、時を経て潰れてしまったその店を解体しに来る若者の物語が交錯する。(この若者が『本嫌い』なのが面白い)
本屋の物語は『日記』の形で、読むわたしに直接語りかけてくる。戦争の影も、人々が引き裂かれていくさまも、「知らない時代の知らない国の話」ではなく「いまここにある」物語に思えてくる。
良い映画を観ているようでもあった。(映画化されたらいいのにな)
また書きます。時々ひっそり、覗きに来てくださるとうれしいです。
★ゴゴアメ2019年12月の朗読公演の写真展は上のボタンか、またはこちらから
本日はみなさまにお知らせです。
昨年12月のゴゴアメ朗読公演「クライマガコ、宵をゆけば」の舞台写真を「写真展」として、このHPに載せました。
公演終了後からわたしが忙しさにかまけておりまして、もはや急ぐこともないし3月中にゆる~っと思いながら……4月になってしまいました。えへ。
たいへん遅くなりましたが、みなさまお時間あるときに、お茶でも淹れてゆるっと、眺めてくださるとうれしいです。
劇場1階カフェにて展示しました松隈量さんのすてきな切り絵の写真もあります! 公演中はゆっくり観られなかったという方々、またお越しになれなかった方々もぜひ。
あらためまして写真掲載を許可してくださった松隈量さん、またいつも公演のたびに撮影してくださる本田光さん、更新してくださったデザイナー林拓郎さんに感謝を。
このブログ記事の上にあります「ゴゴアメ#9写真展」のボタンから、またはこちらをクリックでご覧ください。https://gogo-ame.jp/?page_id=333
このブログ前々回に「コミュニケーションボード」と書いたけど、どういうものかわからないかな、と思ったので。いろいろなものがありますが、わたしが母と使っているのはごく簡便なもので。写真のこれ。商品名は簡易筆談器「かきポンくん」。愛機です(笑)
右のグレーのペンでボードに書き、グレーのボタンを「ポン」と押すと消えてまた書けます。子供のおもちゃにも似たようなものがあるから、これなら知っている! という人もいるかと。わたしも文字だけでなく絵もよく書きます。顔文字ふうな絵とかね。
買ってすぐは母はなんだかなぁという顔でしたが、いまでは慣れて面白がってます。
ウチの親も最近、耳が遠い……という方、気軽に使ってみては。そう値段も高くないし、Amazonでも買えます。
使い方のコツは「話しながら書く」。発話しないのは良くないので、書くだけでなく、たとえ聞こえなくても喋りながら。
母のいる介護施設が面会制限になって3週間となる。
いまは多くの人が、生活がなんらか一変してしまい、いろいろなことを感じたり、考えたりしているのじゃないかなぁと思います。わたしもそうです。考えた。考えている。
この間に、たくさんのイベントやコンサート、展示会、演劇公演が次々中止になり……辛いことです!
自分に身近である演劇のことだけ書くと……ひとつの公演に、出演者もスタッフもスケジュールを合わせて集まるわけなので、延期というのはかなり難しい。
そして無観客では成立しない。撮影した映像をたのしむこともできるけど、劇場の照明・音響効果とは劇場内にいてしか感じとれない部分が大きい。(役者の演技もそう)
「いま、ここでこのときしかできない」「舞台と客席でひとつの作品となる」ものだと思うし、そこが舞台(演劇)の醍醐味、面白さなのです。
さらに小劇場では、たいていの場合、チケット収入だけが制作資金となるので公演を中止すれば大きな赤字を背負うことになる(たいていは、個人には背負いきれないほどの!)
けど、お金の問題の前に、中止とはいまこのとき生まれかけたこの作品がまるごと消えてしまう……という問題の方が大きいと思う。
中止せざるを得なかった公演、中止せずにできうる限りの対策をとって行っている公演……どちらも現場でたくさん考えられたことだと思う。特に当初、情報の少ない中で判断するのはどれだけたいへんなことだったろう。
わたしはできたら、開幕する公演を観に行きたかった。
でも結局、行けてない。キャンセルもしてしまった。(キャンセル……が大嫌いなのに……)
母のことでなかなか観劇できないということはこれまでにもあったけど、こういう事態でキャンセルすることがあるとは思わなかった。無念である。いまのわたしには客席で観る、という形でしか応援もできないし、第一、観ないと損なのは自分だしね。
現状では(あくまで現状では)、現実的に感染者が出た、とどうやってわかるのか? というと、検査の対象になるのはよほどの重症の場合のみか、または重症者の「濃厚接触者」(この言葉どうしてもなじめないな)にあたる人だよね。で、重症になるのは高齢者で、若い人はめったにならないなら……高齢者及び、高齢者と濃厚接触する立場にある人たちが、行かなければいいのでは、と思ってしまった。そう思うと「身近」な劇場が、とても遠く感じた。なんてことだ……
でもねぇ、対策を徹底している劇場に行くのに、不安はない。
混んでる電車とかスーパーの方がよほど心配です。
それでもやはり目の前の状況に左右されてしまう。行く、と決められなかった。
つまらない結論だ。でもいまは面白くなくてもいい、とも思う。
わたしに、面会制限となっても、会いに来てあげてください、大丈夫ですよ、と言ってくださる施設の方々のためにも、自分ができることはしたい。一人ひとりが護っていくべきことだと思う。
それから、ずっと考えている。ゴゴアメのこと。自分のこと。これからのこと。
だんだん、いままで思ってもみなかったな……ということも考え出すようになった。
せっかくなのでこの機会に、たくさん考えてみてもいいんじゃないかと思う。
ふだん書かないようにしていた「介護」のことも、何かふっきれて書けるようになった。でもまぁ、こんどは別の話題も書こうと思います。
よかったらまた覗きにきてやってください。