そんなわけで、正月用の料理もなんにもつくらなかった。けど、白味噌のお雑煮だけはつくった。
わたしの父母は四国、香川県の生まれで、そちらのお雑煮はこの白味噌らしい。らしい、と言うのはわたしは本場で食べたことも見たこともないから。
母は昔は関東風と白味噌と、日替わりでつくってくれた。
わたしは大人になってからはこっちの方がなぜか好きで、自分ではこっちをつくるようになった。
二日に、母との面会に行くことができた。
いつ面会禁止になるだろうとハラハラしたがどうにか行けた。
面会に使われている「面談室」で昨年、一昨年の正月は母を囲み家族で持ち寄ったお正月料理を食べた。
もちろん今年は無理だと分かっていたけど、母は、あたらしいセーターを送ったときに「お正月に着ようかな」などと言ったりして(メールだけど)、どう答えていいかわからなかった。
母のいる介護施設では、月二回、面談室を予約して一回三十分、二名までの面会が出来るようにして頂いていた。
行く度に対策は厳しくなっていき、部屋に入るまでには検温やチェックシートの記入、そのつど手指の消毒をし、手を洗ってうがいをしてまた消毒、更にビニール手袋をする。マスクはもちろんだがフェイスガードを家族も本人もつけた上で、アクリル板越しでの面会である。
それでも母は面会時はいつもとてもよろこんでくれる。(メールではしょっちゅう不安定なのだが)
わたしが思うに、特に、弟と一緒だとニコニコしている。
弟がいないと、なぜかトイレに行きたくなったと連れて行かされる。
ひとの顔を見てトイレに行きたくなるのはやめてほしい。三十分しかないのにトイレに連れて行ったらほぼそれだけで終わってしまう。
まあ三十分もあるのはおそらく良い方だとは思う。けど、母とはボードに書きながらの会話なので、あっという間。
この頃ようやく母もこの状況がのみこめて、時間を大事にしてくれるようになった。
別れ際に「時間短い~」と言うので、強めに「またメールで。ね!」と言うとわかったと頷いていた。
そして七日、一都三県、母のいる神奈川県含め再びの緊急事態宣言が出て、それを受けた形で面会禁止になった。
感染者数が急増し、医療もひっ迫しつつあるそうだから、『緊急事態宣言』はむしろ遅く感じたが。
面会できないというのは本人には、ほんとうに厳しいことだと思う。
わたしたち家族にとっては会えないさみしさはあるにはあるが、面会そのものより、やるべきことができないことの方が実は問題である。
入居フロアに入れなくなってからもうじき一年が経つ。部屋の片付けもしてあげられないし、歩行の練習もしてあげられない。わたしたちの場合はそうだがほかにも人によって家族がやっていたことはさまざまあるはずだ。施設にそれらすべてを任せるのは無理である。介護士さんたちがどれだけ忙しいか。
本人たちにストレスが溜まれば介護士さんたちも、やりにくくなる。面会で本人のストレスを少し解消できれば、最低限、家族の役割を果たせる。
だからまずは面会から、徐々にできることが増えていけば、と願ってきたのだが。
非常に悔しい。
面会を維持してきてくださった施設職員さんたちにはただ感謝である。
昨年、面会禁止になったときは母はけなげに「いますこしの辛抱」と繰り返し言っていた。
まるで自分ががんばっていたら、世の中が平和になるとでもいうように。
「これはとても長くかかる。だから、がんばりすぎないで」とわたしは時々答えた。がっかりさせたくなかった。
母には「け。長くだって。あやはきびしいなあ」と思われてるんだろうけど。(家に通い介護の頃、母によくスパルタ、と言われていた)
世の中にとって、動けないお年寄りががんばってるだなんて、きっとどうでもいいことなのだろう。
でもがんばってるんだよ。
若い人には想像つかなくても仕方がない。でもなんで想像つかないんだ、政治家のお年寄りたちは!?
悪いがそれがわたしにはサッパリわからん。