吾妻ひでお「カオスノート」(イースト・プレス刊)おもしろいー。
今回はアル中エッセイ漫画ではなく、ナンセンスギャグというから、どんなだろうと思ったらほんと、おもしろい。ちょっと心配になるけど。
お彼岸は、父のお墓参りに行ってきた。やっと行けてよかった。
7月の絵+朗読公演「クライマガコの恋と十三夜」には父の思い出を散りばめている。
マガコの父・カナブンがそうだけれど、実はほかの短編にも散っている。
父がモデルっていうものではないし、そのまま実話、というのもないのですが。
あ、でも、父の病気がわかってから、歯科医(大学病院に行った。病気が血液がつくれなくなる病気で、歯科治療も慎重だった)に一緒に付き添って行った日のことが「ツキビト」という作品の中にけっこうそのまんま入ってる。
病気でしんどかった父は支度にものすごく時間がかかり(もともとスローな人なのだが)、最後にネクタイをした。もう定年後だったが、職場に行くのにもしないことが多かったはずだ。
なんでネクタイ・・・とわたしが呆れると、医者がネクタイをしているから、失礼のないように、となにかいたずらっぽく言った。
体面をとりつくろうことはまったくしない人なのに、なぜそこは律儀に・・・いや律儀なのか? なんなのか?
ほんとにへんな人だった。
ただいま、美容師さんからベトナム旅行のおみやげにいただいたコーヒーを飲んでいます。
香りがほのかに甘く、濃くておいしい。
パッケージもかわいい。ドリップ式で一個ずつ包装されているのが箱に入ってる。
でもこれ、リスが豆を食べた糞からつくるのだそうだけど、ほんとなのかしら。
長四角のお皿、ひとめぼれの衝動買い。
秋の食卓に似合いそうで。
月曜祝日に一泊で長野へ行って来た。お盆に行けなかったので、お墓参り。
帰りの新幹線が新車両だった。新車両すごい。内装の色味や照明が落ち着いていて、なんか飛行機みたいで、飛行機よりゆったり座れる!
同じ金額ならぜひとも新車両に乗りたいなこれは。
ちょっとした理由があって、アンデルセン童話集を読んでいる。
岩波少年文庫から1・2・3巻(大畑末吉訳)で出ているのを買ってみた。
子供のころ、アンデルセン全集がすごく好きで何度も読んだのだけれど、どうしてそんなに好きだったか、覚えてなくて。
いま読んでもどうだろう、と思ったのだけど、やや、こんなに面白いのか、とびっくりしてしまった。すっかりはまっている。
アンデルセンとはみなさんご存知のように、子供が読むものとしては悲劇的な結末や暗い話も多いのですが、いま読んでみると、時代のせいか、翻訳の時代もあるかな、のんびりしているというのもあって、それだけでなく、独特の暖かみがある。
ユーモアもある。わたしがいちばん可笑しかったのが(みなさんがどうかはわからないけども)、「ナイチンゲール」というお話に出てくる「侍従」。
皇帝のおそばに仕える侍従の一人が、とっても身分が高くてですね、自分より身分の低い者たちがおそるおそる話しかけたり、なにかものを尋ねるとですよ、この人はただ「ぺー!」と答えるだけなのでした。だって。
ぺー!
そんなこと書いて次の行には「もちろん、これには、なんのいみもないのです」なんて書いてあって、噴き出してしまった。
アンデルセン、ふざけてるなあ。
どれか読みたかったら、「人魚姫」が入っているのは2巻(「ナイチンゲール」も)、おすすめです。
話題作の本なんてほとんど読まないわたしですが(というか、もはやなにが話題なのかを知らないのだけども)、これは、と読んだ。
「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場」 佐々涼子 (早川書房)
アマゾンの頁こちら。まだ読んでない方は、もう買っちゃってください!
タイトルでわかるとおり2011年3月に被災した日本製紙石巻工場、当時の状況と、その後の復興までの道のりを書いたドキュメントです。
わたしも「本は紙派」のひとりであり、紙にはかなり愛情があると思っていたけど、その「本の紙」がどこで出来ているか? なんてまったく知らなかった。
が、そういう方は多いと思う。ぜひこの本を手にとって、頁をめくって、読んでください!
頁をめくるごとに、いろんな思いが溢れてくる。胸が苦しくなるけれど。
恐ろしさ、悲しさ、それから、「名もなき人々」の意地。
「紙つなげ」の言葉の意味(とこめられた意味の両方を)も読めばわかります。
なんとなく思いたって、0歳から3歳まで住んでいた街へ、そのとき以来初めて行って来た。
タキが明日行こうかーと言ってくれて、腰の重いわたしたちには珍しく急に出かけた。
わたしの住んでいた団地がいまもそこにあるのだけど、半世紀経ったわけで、もうなくなってしまうかも知れないと思って、前からいちど見てみたかったのだ。
母はその街に引っ越した日まで、どんなところかも知らなかったと最近になって言っていた。
海が近く、よく海岸に連れて行ってもらったらしいけど、わたしの記憶はまるでない。
3歳くらいまでの記憶って、ごく断片でもなにかひとつかふたつはある、と言う人は多い。
海なのにね。海くらい覚えておけよ、わたし。と思う。
もわっとした空気のなかを歩き続け、ようやく見えてきた団地はきれいだったし、日常の気配がドッコイあって、半世紀前のユーレイなんか知らんよ、という感じだった。
でも、あの柵付きの窓に座って外を見るのが好きだったというあやちゃんには、一瞬、下からぼへっと見あげているわたしの姿が見えたかも知れない。
なにあれ。へんなおばあちゃん。よわそう。
電車を乗り継ぎ江の島へ出て、そっちで海を見て来た。
お気に入りの居酒屋があり、久しぶりにそこでのむのも目当てだったのだ。
カウンターに座ったら、忙しく働く板さんが、おすすめのお酒など親切に教えてくれた。
それから帰るときに、お店の外へ追って来て、火打石をなぜか打ってくれた。
一泊して、写真は翌日、湘南のレストランの丸窓から見た海。
たくさん歩いた。
あした9月8日月曜が十五夜です。やっぱり中秋の名月は曇りが多い。
見えるかな。見えないかなあ。