春パスタ。さやえんどうは味噌汁に入れるのも大好きですが、さっと炒めるのも美味しい。しゃきしゃきの食感を大事に。
怒涛の3月でした。4月はしっかり落ち着いていきたい。
って引き続き走り回ってるけども。腰と背中が痛い。全身痛い。温泉行きたい!
だいぶ日にちが経ってしまったが、大澤遊くん演出、谷川俊太郎戯曲の公演を観たあと(遊くんに感想をゆっくりメールしようと思いつつ、できてない! 用事のメールだけして、うう!)、うちにあった谷川俊太郎の対談が載っている本をめくった。(「夜露死苦現代詩 都築響一 ちくま文庫」)
この対談自体は平成18年と古いものなのだけど、公演を観た直後に読んだことで、新鮮に読めて、そしてある箇所で「それは芝居にも通じるな」と勝手に思ってしまったところがあった。
谷川さんの言葉で「詩はメッセージじゃない、メッセージを伝えたいのなら簡潔に散文で言いますよ」というところ。
これってわたしが昔から芝居をつくるとき、よく思うことと同じだな、と。
なにが言いたいか、じゃないのだ。
なにか言いたいこと、訴えたいことがあるなら、それをそのまま書く。
わざわざ芝居になんかしない。
芝居もそうだけど、映画や小説だって同じじゃないかな、フィクションをつくるひとは誰でも、そう思ってるんじゃないかとわたしは思う。
だからひとの作品を観るときも読むときも、「なにが言いたいんだろう?」なんてことはわたしは考えない。そんなことを考えたって、つまらないだけだと思う。
でもですね。そういうことごとを、わたしはうまく説明できなかったりする。
ごくシンプルなことなのに、シンプルなことをちゃんと言葉にする、ということが、実は難しい。
谷川俊太郎は更にその対談でこう言っている。
「僕は詩というのはメッセージじゃなくて言葉の存在感だと思っている。目の前にあるコップと同じくらい確実にそこに言葉を存在させたい。しかもそれが美しい言葉でありたいというのが基本的な考えです」
ううむさすが! この言葉がもう詩みたいだものな!