きのうは菖蒲湯でした。
白髪が目立つようになって、美容院に行くときに染めるだけでは、いよいよ間に合わなくなった。
白髪なんて若いときからあるというひともいるし、そのまま年齢を現すものとは思わないけど、でも自分の変化としてはやっぱり、生物として終わっていくのだなあという実感のひとつにはなっている。
「人生ってあれだな、束の間だなツカノマ」というのがこの頃実にしっくりくるようになり。ごく日常的な感慨、感慨とも言えないくらい、常なる気分だ。
とはいえ、目の前のことには途方に暮れたり焦ったり不安になったりするのがああ、厄介な。
下北沢本多劇場、マチネでナイロン100℃の「百年の秘密」を観劇。
ナイロンを観るのは久しぶりで(いつも観たいのだが、気づくと終わってしまってたり)、わくわくしていた。
まず宣伝のストーリーが。主人公は二人の女で友達、でもずっと一緒にいたわけでなく、人生のある時期を共に過ごしいつか離れまた再会し、やがて老いて、死んで(死んだあともある)、というのに、すっかりやられてしまい、これは今回こそは観ずにおれないと。
だってそれをケラさんが書くのでしょう、で、あの二人が演じるのでしょう、「参ったなあ」と観る前から参っていたのだ。
ナイロンだから3時間以上あると思っていたけどやはりそうで(休憩あり)、おーよーし久しぶりにこの長さを、と観始めたらもう、なにか、なにもかもすごくなってるよー、と衝撃を受けた。
舞台セットも、庭と邸内の二箇所が絵の具が混ざり合うみたいに、両手を組んだようになっているのが良くて。
戯曲は翻訳小説の大河ふうの仕立になっていて、いつかどこかで見たような、ではあるのだが、ストーリー自体よりも、時間を交錯させた構成によって紡いでいくようになっている作品だと思う。巧い、巧すぎる。
でも更に、ダイアローグのひとつひとつに強度があって、何度も心が揺らされた。
どーせわたしは泣いたりするんだろうなあと思っていたからそこは驚かなかったが(泣くようなとこじゃないとこもねー)、しょうがないのよー涙がどーしてもねーほっといてー。(別にほっとくよね)
白髪のある大人のための、すばらしいエンターテイメントだった。
(なくても!)