小学校5、6年のときに日記を書いていた。
同窓会の話が出てから、母が、そういえばある、とボロボロになった小5時代の日記帳を渡してくれた。あったんだ・・・、いきなり引いた。
しかし図々しくも、もしや子供の頃に文才が、と一人ヒソカに開いてみた、瞬間にのけぞった。
いまから書くことは、えらくハズカシイ、すべて正直な話だ。
まず、字が汚すぎる。しかも誤字だらけ。
文才どころじゃない。内容ひどすぎ。もうひどくてもいいから、少しは当時の生活とかがわかると、懐かしいとかいう感情も湧くってものだが、残念ながら、そういうことはほぼなかった。それほど「内容がない」のである。
詩とか書いてるし。これから詩日記にします、とか宣言してるし。
なぁに、こどもらしい発想があったりするんじゃないの? って思うでしょう。
わたしもいや、わたしこそそれを期待した。願った。絶望した。そこにはえらくつまらん、詩じゃないよこれはというやつが、絵付(絵もひどい、すさまじく)で殴り書きされているのだった。
ライターを掴んだ。
燃やそう。
うんそうしよういますぐに。だが、燃やせなかったのだ。
なぜならそこには、毎回(毎日は書いてない)、先生が赤ペンで、とてもいい字で、丁寧にコメントをつけてくれているのだ。(誤字も全部を直してくれていた・・・ああ)
5、6年の担任だった先生が、日記を書いて提出するたび、読んで、書いてくれたのだ、二年間も。
せ、先生・・・いくら仕事とはいえ・・・
こんなクソガキにつきあう必要ありませんからッ!!
まったくもう。ほんとうに。・・・ありがとうございました・・・
感謝の気持ちを・・・うまくは伝えられなかった。
二年と少し前になる同窓会で、久しぶりに先生にお会いしたときに。
わたしはやはりわたしなのだった。
まるで不良が教員室に遊びに来ちゃったみたいに、ぶらぶらしながら、先生のおかげで、書くことが好きになれた、なんて言いだしたそばから自分で、だからどうなんだ? おまえ? と、しどろもどろになってしまった。もう少しでいいから、ちょっと立派になれていたら、先生を喜ばせることができたのだろうけど。
そんなであとは、「先生といえばさ、煙草だね」なんて言って。うちの父親と先生が煙草吸いだったからだよ、わたしが吸うようになったのは。
先生は、「はっはっは、おれのせいか」と愉快そうに笑った。
「うん。先生のせいだよ」わたしも笑った。
先生を笑わせることができて、うれしかったからだ。
しょうがない話だ。
それでも、次の同窓会の幹事を引き受けたから、またしょうもないことだろうとも、お話することは、できると思っていたのだ。叶わずとなった。
昨年の春の訃報は突然だった。自分が年をとっている分、もうそんなに驚くことではなかったはずだが。
あれから同窓会幹事も無事終えて、先生のお墓参りへも行けたけど、いまはまだ、あのぼろ日記を開くことはできない。泣いてしまいそうで。
見なくても、目に浮かべることはできる。
先生の赤い字は先生らしくいつも真面目で正義感で、でも時々、冗談を書いてくれている。
煙草の匂いがしてくる気がする。
吉永亜矢 (
2012年1月 8日 13:41)
カテゴリ:
酒と肴