前回ここに書いた本、「眠れなくなる宇宙の話」(佐藤勝彦・宝島社)には、いろいろさまざまおもしろいことが書いてあって、わたしの無駄なお喋りはどんどこ続くが(非科学脳トークサクレツ)、なんでそんなにワカラナイ癖におもしろがるかな? というと。
ほんとに科学、物理学の進歩はすごい。
「暗黒物質」も、この十年内になんであるかがわかるかも知れないそうだ。(十年! なんとか生きてようか! でも「暗黒エネルギー」のほうはまだまだ難題だそう)
そしておかしなことに、宇宙はなにかが解明されるほど、身近にはならずに逆に、遠く遥かな存在になってしまったようだ。
宇宙が膨張していると知ったことで、宇宙の果てが遠ざかっていくのじゃないか、と思ってしまうくらい。
あまりにも遠くて、そんなのどうでもいいじゃん、いまここでメンチカツ揚がるの待ってるときに、関係ないよっ、てことじゃないか。
それにどっちみちそれらは「理論」でしかないし、とも思ったりする。
夜空の星を見上げ、星座を描いていた時代のほうがよっぽど身近だったろうよね。
それならメンチカツ待ちながらでもできるし。(メンチカツから離れろ?)
でも佐藤勝彦氏はこの本の前書きに、それでも宇宙を知ることは、その宇宙の中にいる人間を知ること、そして「私」を知ることなのだ、と書いている。
ほんとうにそのとおりだ。
この国のことを考えるとき、地球全体のことを考えなければならないように、わたしたちの命のもとは、宇宙なのだ。
みんな宇宙にいる。(メンチカツも。ああごめん)
真面目に考えればそうなのだけど・・・でもね。
わたしにとって実感は、宇宙のことを考えるとき、この「わたし」から、離れられることがおもしろいのだ。
人間、自分とは別れられない。一生つきあう羽目になるが、わたしはたまにはわたしを離れたい。
たまにいつもしないことをする、違う場所に行く、またはふだん小説を読むのも映画を観るのも、そうなのだけど、やはりどれもが「わたしを知ること」になるし、そのため、なのだ。
で、なにそれ、ちーっともわかんないーという宇宙のことを考えるとき、ようやくわたしはわたしをすっかり忘れている気がする。
これって・・・運動好きなひとが走ったりスキーとかテニスとかスポーツするのと同じ感じかな。
いろんなことを忘れて。すかっとするのだ。