たまたま続けての観劇になった、ゼイタクー!
平常(たいらじょう)の人形劇。テレビで知ってああ観てみたい! と思っていたのだ。新国立劇場にて、寺山修司原作「毛皮のマリー」、観てきた。いやーめちゃくちゃたのしかった!
前回ここに書いたことと、いきなり逆のこと言っちゃうけど、「意味が伝わる」ように演じられているのが面白かった。
年齢を問わず(「毛皮のマリー」についてはR15指定だけど)、男でも女でも中間の方でも、芝居をあまり観ない方も芝居通も、誰でもたのしめるだろう。なるほど「わかる」というのは、大事なことなのか? えっへへー(笑ってるよ)、いやまだまだ。さすがにね、それだけではない。
意味はたぶん、裏返ったり宙へ舞い上がったり消えたり現れたり溶けて流れ出したりする、舞台上の声や動作と共に変幻自在に動いていく。
そうして客席で気がついたときには、言葉の破片、または、舞台上のなにかの動きひとつが、心に突き刺さっている。
人形ももちろん魅力的だけど、役者としての平常に魅了された、人形劇といってもこれは一人芝居でもあるんだね、そうだよね。
また観たい。
観たことのない方にはぜひ、一度観てほしいな。親子で、夫婦で、友達で。
精力的に活動されているので、チケットとるのはそう難しくないはず。
「芸術」としていばってなくて、なのに驚くほど実験的、挑戦的。
心の体操、いい汗かくよ。