きのうは、ドイツ翻訳劇「大と小」を観に上野へ。
田中智也くんが出演しているからだ。彼にとってはこの作品は挑戦で、眠れない日々だったと聞いていたけど、終演後に会った顔はたのしげで、頼もしく、うれしかった。
自分にないものを探したり、求めることはそのはじめから簡単なことではない。ともやくんとは、あまり一緒に呑んで喋ったりしない(ヤツは真面目であるからな)のだけどこんど、ゆっくり話を聞きたいな。
戯曲は「難解」とされる作品だが、それは筋を追えないものだからで、そういう芝居が好きなひとはいる! まぁ、少なくなってしまったのだろうけど・・・。わたしは好きで、でも、そういうわたしが観ていて思ったのは、もっと台詞や演技に意味を持たせずに、たとえば言葉のリズムや音で詩的にイメージを喚起させていったり、シーンの持つ意味を壊す動きや視覚効果があってもよかったのじゃないか、ということだった。
ん、でもそうしたら、ますます「難解」と言われてしまうのだろうか?
そもそも、わかったとかわかんないとか、じゃないよね芝居は。
正解を出そうとするお客さんが多いよなぁ、とこの頃思う。クイズじゃないんだから。
正解は、ないよ。好きなように観たらいいじゃん、とか思うんだけども。
そんなわたしはよっぽど「暢気なお客」なのだろう。
「大と小」は休憩10分を入れて約2時間45分! と小劇場の椅子に座るのには確かに長い、しかし暢気なお客であるわたしは、こういう筋を追えない(というのは、追わないでいい、のだから)作品のほうが長くたって心地よく観られるはずである、と思っている。
もうちょい長めの休憩を入れて、サンドイッチなどおなかに慌てて詰め込みながら、頭はじっくり一幕についてあれこれ考察し、わくわく席に戻って、より深く混沌に突き落とされたい。
いーや、やはり少しでも短いほうがいい? うは、それもそうか。
ところで上野ってあまり行かないので、駅構内があんなふうになっていることにビックリ。行きは出口を間違えて大汗。でも帰りは、はらドーナツと浅野屋のパンを買ってにこにこ。