そんな怒涛の日々の中。
わくわくするニュースが飛びこんできて、うわーと叫んでしまった。
ああもっとこのニュースを読みたい。ネット検索したらいっぱいあるのにぃーって惜しかったなあ。
まあどんなに読んだって、さっぱーりわからないんだからね!
無駄もいいとこなのだがさすがの無駄大好き人生のわたしも、ガマンしたのであった。
が、新聞は切り抜いてここにある。
(時間が出来次第、思い切り無駄に無意味なことを考えるためにとってあるのだ。いひひー)
素粒子のひとつニュートリノが、実験により、光よりも1億分の6秒ほど速い、というデータが出たのだという。
1億分の6秒かよー! うひゃひゃそれだけでもたのしいんだけど、そのわずかな差が、アインシュタインの相対性理論(光よりも速いものはないとする)をくつがえすことにもなるのだ。
すげえ! なにせこの世の中は、なんだって相対性理論でできてるようなものなんだもんな。どこまでいっても相対性理論じゃん。それなのに、ふつう、ひとは相対性理論を簡単には説明できないよね。なんて思ってたんだけど。えっ説明できる? すげー。
更なるあたらしい理論(量子論だけでもわたしはすごいと思うのに。ちんぷんかんぷんだもん。ニュートリノ自体だって! なあにニュートリノってー飛ぶの? みたいな)を打ち立てるのは、いまは学者たちにも途方もないことらしい。
さあ、これどうなる? とすごくわくわくする。
けど記事によると(きょうの朝刊にも記事あり)、やはりどうも、あまりにも大きなことなので、実験を重ねる必要があり「すぐにはなんとも言えない」ということになっているみたい。
それにはまた何年もかかるようで、なーんだーという感じもする。
でもでもやっぱり・・・たのしー。
光より速いもの。あるよ、きっと、ぜんぜんあるよー。
とわけもなくたのしい。
いやはや・・・・・・
ときどき覗きに来てくれて、だーいじょーぶー? と思っていたあなた、ありがとうっ!
またぼちぼちだけど、書くからね、来てね。
パソコンサンドバックを叩き続ける日々(だからサンドバックじゃないよ)、ああ累積疲れがきてるなあと思いはじめていたある日。
目の疲れからか、座りっぱなしだからか、まあいずれにせよ、体じゅう痛かったのだけど、頭痛がきて。それもなにかへんな頭痛で、右の後ろからこう時々、突き刺してくるようなやつなのよ。
(あのーなんかものすごく偉業を成し遂げ中みたいで気が引けるけどもさ、「それは歳だから」なのよ、ユルシテ)
弱ったなあと思いつつ、その日の夜はみのり姫の出演する芝居を観にゆく日で。パソコンから自分をめりめりとひっぺがして出かける。
芝居はおもしろく観て、涙も落とし、スッキリ。
で、ほかに観に来ていたゴゴアメなメンバーと会ったらまあ、これがツッコミどころ満載で誰か一言喋るたびにツッコミ、しかも間を置かずみんなが喋るんだから忙しいっつーの! と言いながらも、顔を見たら誰がってわたしがいちばん、うれしそうだよね。
気が緩んだよね。
あしたもあるからと百回自分に言い聞かせておいたものの、ほんの二時間くらいかな、お酒をのんだらそれだけで翌日がもー。きつかったー。
しかしなんだろう、休んだからか? その一日はそらまーひどかったけど、次の日から頭痛は消えてくれた。た、助かったー。
写真はごはん作りに時間ないときあの手この手の、ひとつで。
お取り寄せしちゃった鰹の叩き。写真じゃよくわからないけども豪華!
にんにくをオリーブオイルでカリカリにして、オリーブオイルとたれ(少なめにして)を一緒に回しかけて、サラダ仕立てに。
もちろんふつうのスーパーで買うのでも、このやり方よくやる、間違いのないおいしさ。
いまも身体はだるいけど、窓からさわやかな風、いい天気だねえ。
少し休んで、がんばりまうす。
台風、すごかったね。
わたしはずっと家の中だったけど、どん、どん、と風で家が鳴るのが、怖いくらいだった。
ずっとパソコンにしがみついているので、ごはん作りもままならくて。
そうだ、炊飯器にお願いしようとピラフ。
オリーブオイルで米を透き通るまで炒めて、次に牛肉ときのこを炒めて、合わせて調味料とセットすれば良いからね。
ガーリックをきかせた炊き上がりに刻んだパセリをのせて、いい匂い。うわー、ありがとう炊飯器、なのだ。
なんでもないおかず。野菜の色ってきれいだなー、と。
残暑きびしいですね。
気持ちがね、重力より重たいものに引っ張られているような日々で。
でもそういうときこそ、えいっと力を使って、力を抜いて、ただまっすぐ向いていたい、と思う。
さあ。パソコンに向かってひたすら、打つべしうつべしうつべし。
って、わたし、キー打つ力が無駄に強いんだから、そんなウツベシ! とか間違ってんだけど根本的に。
前にエンターキー叩き壊しちゃったからね。割れたのね、中古のパソコンだったけど、だからって。
いまのパソコンもいつの間にかエンターキー浮いてるし。これ時間の問題で・・・
石橋叩いて叩き壊すようなタイプ、ってところもないとはいえないわたしだが、エンターキー叩いて壊すタイプ! なんだからね実際は・・・なんだよそれ。
うにゃ! がばります。
ジリン、とまだ表で音がしているけど。
火災報知機点検、うちの中は終了したよ。プロの方はナルニア王国の入り口も、見て見ぬふりをしてくれました。お仕事お疲れさまです!!
きのう嘘掃除しながら、玄関なんか毎朝掃いて磨いて塩など盛ったりするひとを、心から尊敬するなーと。え、呑み屋かって? わたしが言うと、か。ああ。
こんどこそほんものの掃除をしよう! と誓うだけは、誓う。
チャプチェは韓国春雨で。原材料が違うのね、さつまいもなのね。
太くて味がからみやすくこしがあり、つるっとして麺のよう。
描いたような。誰か描いたね。ベランダから写す。
これ、夏の空だよね? 秋じゃないよね。
っていうか夏がこのくらいの暑さだと、ありがたいんだけど。
あしたの朝、火災報知機の点検が来るのだ。いまか・・・いまこの状態で来るのか・・・絶対にいまなのか。(絶対です)
家の中、もうすごいことになってるからね。
ぐしゃぐしゃなのを、ぐしゃぐしゃ寄せるんだよね、泣きながらね。
いちばん辛いのは押入れの中にもひとつあるんだよ。そこは・・・・・・
そこはナルニア王国への入り口があるので開けないでください、と言おうか。
うう。情けない。
中秋の名月、なかなか晴れず実際は月があまりよく見えないことが多いそうだけど、きのうはきれいだったね。
どこへも行かず、パソコンに向かい、うつべし、うつべし、うつべし、の日々。
なので、何事もありませんでした。となれば良いけどそうもいかない、人生とはなぁ。それも、中年の人生とはなぁ。
や・・・仕事に戻ろ。
初秋の気配して、赤い色に魅かれる。
さて芝居の話が続く、今回はお知らせ。
ゴゴアメのヒロイン、我らが藤倉みのり姫が今月、出演する舞台がある。
9月21日(水)から25日(日) ゲキ塾。プロデュース 「煙が目にしみる」中目黒ウッディシアター
みなみなさま、なにとぞ応援のほど、よろしく御願いたてまつりまする!
詳細はみのりのブログこちらでも。
関係者じゃないけどもう一言、チケットは既に完売の回も出ているようです。ご予約はお早めに!
やーみのりんから先に、劇場はウッディシアターと聞いてなんかもうそわそわしちゃっていてね。
だから、わたしがそわそわすることはなにもない! んだけども。
ウッディシアターさんは、シエラザード(ゴゴアメの前のプロデュース名)に続いて、09年にゴゴアメその1公演を行った劇場で。わたしにはとっても特別な劇場なのだ。
いろんな思い出があるが、はじまりは、みのりだ。ウッディシアターはどうでしょう、と言ったのは彼女だから。
それに。演目は「煙が目にしみる」だという。おー!
堤泰之の戯曲「煙が目にしみる」は何度もいろんな劇団による公演が行われている作品だが、わたしもいちど観ていて、ただのお客であるのに少し、個人的な思い出がある。
しかしいつだったろう、記憶が曖昧なので調べてみたところ、「鈴置洋孝プロデュース」による97年が初演(堤演出)で、わたしが観たのは98年の最初の再演であった。
その後も再演を重ねていたが、俳優の鈴置さんは亡くなってしまった。この作品の案は、鈴置さんが出したもので、とても大事にされていた作品だったとひとに聞いていた。
タイトルから想像した方もいると思うけど、火葬場が舞台で、おかしく切ないお話である。と、こうして辿っていると、なんだかいろいろとしみる。
みのりもしみじみ稽古していることであろう! ってことはなく、ヤツのこと、絶対、意気込みまくりで汗かきジタバタしているに違いない。ふふふ。
そんなみのりがたおやかに舞台に立つ姿を、たのしみにしている。
たまたま続けての観劇になった、ゼイタクー!
平常(たいらじょう)の人形劇。テレビで知ってああ観てみたい! と思っていたのだ。新国立劇場にて、寺山修司原作「毛皮のマリー」、観てきた。いやーめちゃくちゃたのしかった!
前回ここに書いたことと、いきなり逆のこと言っちゃうけど、「意味が伝わる」ように演じられているのが面白かった。
年齢を問わず(「毛皮のマリー」についてはR15指定だけど)、男でも女でも中間の方でも、芝居をあまり観ない方も芝居通も、誰でもたのしめるだろう。なるほど「わかる」というのは、大事なことなのか? えっへへー(笑ってるよ)、いやまだまだ。さすがにね、それだけではない。
意味はたぶん、裏返ったり宙へ舞い上がったり消えたり現れたり溶けて流れ出したりする、舞台上の声や動作と共に変幻自在に動いていく。
そうして客席で気がついたときには、言葉の破片、または、舞台上のなにかの動きひとつが、心に突き刺さっている。
人形ももちろん魅力的だけど、役者としての平常に魅了された、人形劇といってもこれは一人芝居でもあるんだね、そうだよね。
また観たい。
観たことのない方にはぜひ、一度観てほしいな。親子で、夫婦で、友達で。
精力的に活動されているので、チケットとるのはそう難しくないはず。
「芸術」としていばってなくて、なのに驚くほど実験的、挑戦的。
心の体操、いい汗かくよ。
きのうは、ドイツ翻訳劇「大と小」を観に上野へ。
田中智也くんが出演しているからだ。彼にとってはこの作品は挑戦で、眠れない日々だったと聞いていたけど、終演後に会った顔はたのしげで、頼もしく、うれしかった。
自分にないものを探したり、求めることはそのはじめから簡単なことではない。ともやくんとは、あまり一緒に呑んで喋ったりしない(ヤツは真面目であるからな)のだけどこんど、ゆっくり話を聞きたいな。
戯曲は「難解」とされる作品だが、それは筋を追えないものだからで、そういう芝居が好きなひとはいる! まぁ、少なくなってしまったのだろうけど・・・。わたしは好きで、でも、そういうわたしが観ていて思ったのは、もっと台詞や演技に意味を持たせずに、たとえば言葉のリズムや音で詩的にイメージを喚起させていったり、シーンの持つ意味を壊す動きや視覚効果があってもよかったのじゃないか、ということだった。
ん、でもそうしたら、ますます「難解」と言われてしまうのだろうか?
そもそも、わかったとかわかんないとか、じゃないよね芝居は。
正解を出そうとするお客さんが多いよなぁ、とこの頃思う。クイズじゃないんだから。
正解は、ないよ。好きなように観たらいいじゃん、とか思うんだけども。
そんなわたしはよっぽど「暢気なお客」なのだろう。
「大と小」は休憩10分を入れて約2時間45分! と小劇場の椅子に座るのには確かに長い、しかし暢気なお客であるわたしは、こういう筋を追えない(というのは、追わないでいい、のだから)作品のほうが長くたって心地よく観られるはずである、と思っている。
もうちょい長めの休憩を入れて、サンドイッチなどおなかに慌てて詰め込みながら、頭はじっくり一幕についてあれこれ考察し、わくわく席に戻って、より深く混沌に突き落とされたい。
いーや、やはり少しでも短いほうがいい? うは、それもそうか。
ところで上野ってあまり行かないので、駅構内があんなふうになっていることにビックリ。行きは出口を間違えて大汗。でも帰りは、はらドーナツと浅野屋のパンを買ってにこにこ。
鶏ささみと黒米ごはんをリゾットにして、枝豆を入れてみた。は、いいけど和洋へんな組み合わせのごはん。ウチにはよくあることだけどー。
ゆっくりな台風というのも困ったものなのですね。
どうなってしまうのだろう、と気を揉みながら、こちらでは数日、雨が降りそうで降らず、湿気をはらんだ熱風に参らされる。
べたべた、もわもわで頭は回らず身体もぐったり、スイマセン、ダメですなんにもしたくない・・・と弱りきっていた一昨日、都会に出たら、うわなんだろうこの空気の重さは・・・ううう、どろどろどろ・・・
と渋谷のカフェに泥のように入りこんで、遊くん演出、伊藤浩樹出演の芝居を観に行ったのだ。観たらスッキリしてしまった。
なんかね、しあわせな夜でした。
はじめて会う方も古い友人も混じって呑んで、いいなあ若いと元気で、わしはもう引退じゃ! なにから引退かもわからないが! と言う、見た目はたぶん人一倍元気そうな、わたしであった。
床から二センチは浮いてたな。ハズカシ。