タキの知人が亡くなって、久しぶりに集まろうという仕事仲間の呑み会に、よちながお約束の乱入をしてきた。
乱入といってもしんみりと。
それによちながもうオバアチャンだし。
ひとりひとりが昔話をするのを聞きながら、黙ってのむだけはのむ。
黙って、は、うそ。
久しぶりの顔が揃ったらそれはなんとも親族みたいで、久しぶりでも同じようにツッコミ合い、まぜっかえしあう。ツッコミポイントは互いにはずさない、すばやく正確に。
ねえ知ってるかな、わたしがみんなと知り合ってからでも、もう10年経つんだよ。
いい集いだった。献杯百回してご冥福をという言葉は誰も言わず、いかに呑んだくれだったかを語りあっていた。
けど、さみしい。
不良大人の大先輩たちはみんな、いなくなってしまったような気がする。
でもおかしい。
だってわたしには、みんなのような仕事上の「先輩」「師匠」がいなかったんだからね。
仕事のことで真剣かつ不条理に怒り、なんかっちゃー酒を呑み、呑むとからみ、からんでは謝る、そういうはた迷惑な先輩たちとさんざんつき合ったっていうことが、すごくうらやましいよ。
わたしなんかひとりで、ひとの会社の冷蔵庫の酒を昼間っからのんでたよ。(良い子は真似しない)いやわたしももうしないよ、オバアチャンだから。
だからなに、わたしがさみしがるのなんて、居酒屋の合い席の客がさみしがってるようなものじゃん。
カウンターの隅からからんでるみたいなものじゃん。あ、まさにそれか。
そうなんだけども、なんだろうそういうおかしいさみしさが最近ずうっとある。