タキの知人が亡くなって、久しぶりに集まろうという仕事仲間の呑み会に、よちながお約束の乱入をしてきた。
乱入といってもしんみりと。
それによちながもうオバアチャンだし。
ひとりひとりが昔話をするのを聞きながら、黙ってのむだけはのむ。
黙って、は、うそ。
久しぶりの顔が揃ったらそれはなんとも親族みたいで、久しぶりでも同じようにツッコミ合い、まぜっかえしあう。ツッコミポイントは互いにはずさない、すばやく正確に。
ねえ知ってるかな、わたしがみんなと知り合ってからでも、もう10年経つんだよ。
いい集いだった。献杯百回してご冥福をという言葉は誰も言わず、いかに呑んだくれだったかを語りあっていた。
けど、さみしい。
不良大人の大先輩たちはみんな、いなくなってしまったような気がする。
でもおかしい。
だってわたしには、みんなのような仕事上の「先輩」「師匠」がいなかったんだからね。
仕事のことで真剣かつ不条理に怒り、なんかっちゃー酒を呑み、呑むとからみ、からんでは謝る、そういうはた迷惑な先輩たちとさんざんつき合ったっていうことが、すごくうらやましいよ。
わたしなんかひとりで、ひとの会社の冷蔵庫の酒を昼間っからのんでたよ。(良い子は真似しない)いやわたしももうしないよ、オバアチャンだから。
だからなに、わたしがさみしがるのなんて、居酒屋の合い席の客がさみしがってるようなものじゃん。
カウンターの隅からからんでるみたいなものじゃん。あ、まさにそれか。
そうなんだけども、なんだろうそういうおかしいさみしさが最近ずうっとある。
この季節、というかも少し早く、5月になるとそわそわと、食べたくなる、桜海老の生または釜揚げ。
大根おろしにのせたり、チーズと合わせてトーストにしたり。ズッキーニとパスタにしてみたら、合います。大葉もよかった。レモンをぎゅっと絞り。
少しヨユウができたので、いまのうちにやりたいこととかやらなくちゃいけないこととかじっくり考えたい仕事とか、予定をたててみよう、とするけどうまく入りきらず。たいしてヨユウないなあ。なーんだ。
雨も降っているし読みかけている本がすごくいいから、なんにもしないでずっと読んでいたい気分、なんだけど・・・。
先日、母の家に寄ったら、こんなきれいなアジサイが。
とってもきれいな色で、見惚れてしまった。
弟夫妻からのプレゼントとのこと。
あすかちゃんのセンスだなーこれは。うふふ。
(明日香とは別人、なんかおかしな繋がりになっちゃったかな?)
なんだかずっと忙しくくたびれた、きょうは頭が痺れてるー。
けど夕方から打ち合わせ。
おとといの夜、明日香からメールをもらった。
「若布」というタイトルだった。
ぼんやりしてたものだから、なんのことだかわからず開いた。
わかふ?
と、一行目に書いてあった。以下全文。
わかふ?
気になる!
わかめ?
こんぶ?
うんっアスカ!! ・・・おなか痛い・・・いま思い出しても・・・
そのーねえ、こないだここに書いたお気に入りふりかけのことだよねえ、うん。ぷっ。いやうん。OK。そうだなあ、どこから話せばいいかなあ。
そうそう、アスカ、前に子供二人で大阪に遊びに行ったこと、ブログに書いてたよね。で、大阪のアスカの妹さんから報告写メの件名が「新世界」っていうのがあったでしょ。子供ら二人、たのしそうな写真だったよね。
けどあれ読んで、わたしものすごく面白くなっちゃってさ。
だってアスカが、「新世界って・・・なんだろう?」って書くから。
びっくりしたよ。
ちょっと待て。いやもう遅いか・・・どこまで行っちゃったかなあ、と思ったよ。
だってアスカの考える「新世界」って・・・。あたらしい世界が、ねえ。
アスカあのね、そういうところじゃないんだよ。
おっちゃんたちが呑んでるよ新世界。
長くなったけどさ、ふりかけは・・・、ま、食べてみて。
こんどアスカの分、買っておくから。
なんということはない、うちのつまみっておいしいよね。
最近買って気に入ってるのがこの若布ふりかけ、これのおにぎり抜群。おにぎりにすると若布が程よくしっとり。ゴマいい仕事。ちょっと食べてみてよー。
気になる言葉はいろいろあれど、「ちょっとした」が気になる。
「ちょっとしたお出かけに」というのはどんなお出かけ?
ちょっとやそっとではないお出かけもあるということか?
ではどこからがちょっとしてるのか?
「ちょっとしたプレゼントにも」「ちょっとした気分転換にも」
いろいろあってすべて気になるが、「ちょっとしたオシゴトにも」 これはないのは何故か。
仕事はちょっとじゃだめなのか。いいじゃないかちょっとしても。
(逃避? というより愚痴!?)
気になる言葉なのに、意味なくしょっちゅう使ってしまうのもある。
「せっかくだから」
いっとき、せっかくだからオンパレードで、自分で呆れた。
「せっかくだからワインを」「せっかくだから日本酒も」「せっかくだからウィスキーも」「せっかくだからもう一杯!」
なにがせっかくなのか? なんにもせっかくではない。
気前がいい感じが好きなのか。けどせっかくの気前の良さもせっかくとつけると、ちょっとせこい。
最近せっかくせっかく言ってないな。気前があがったか落ちたか?
これ、かーわいいでしょう!?
チリトリは「はりみ」といって、柿渋を塗った和紙なんですねえ。
紙? 壊れないのか? と思うとこれが丈夫だそうで、紙なので静電気がおこらずとったほこりがすっとゴミ箱にきれいに落ちる。なるほどねえ。
パソコン使っている以上、節電というのがなかなか・・・なのだが、ちょっとでも工夫はしたい。
掃除機を出すのを減らすためには(あ、ふだんからやんないこと多いか、いいのかじゃあ?!)やっぱり箒かしらと。
箒派っていう方々もいるよね、掃除好きなひとってほんとうに尊敬する。
で、箒素人のわたし、まず小さいのから試してみることにした。
時間なくてもちょっと、というときや、掃除機には不向きな狭い場所にこれはいい。マメさが肝心だけど。マメさが!
や、いろいろ試していきます。
今週は地味に地味に仕事。
こういうときは、出かけるわけじゃなくても体調がいいと助かるのだ。が、パソコンに向かう体がなんか重く、でもきょうはだいぶいい、よかった。
まあ歳はどんどんとるわけで、これからは、自分のご機嫌とるのに長けていかなきゃな、うまくなりたいななんて思う。
どうやって機嫌とるのって、たぶん、食べることとか食べることなんだろうけど。あとは酒とか酒で。同じか、なんも進歩なしか。
お米はいつからか、お米屋さんに配達してもらっている。その米屋さんおすすめのものを幾つか試してみたりして、最近ずっと、福島県産のコシヒカリなのだ。
これはほんとうにおいしいお米なのだ。だからねえ、ほんとうに・・・くやしくかなしいのだ!
久しぶりに仕事をしているものだから、久しぶりに懐かしいひとたちに会うこともあって。
久しぶりに顔を見せると、「おっ」「なんだよ?」と苦い顔をされる、のがたのしいのよ。いひひ。
若いひとたちはみんなえらくなり、わたしというのはとことん・・・どんだけ一生、ぷらぷらしてんのか、としみじみしたりもする。(しみじみしてる場合か!)
そうして、もともとえらいひとたちは、元気なのかしらんと、フトドキ者の癖に実はいつも、気にしております。けれど実際お見かけすると、なんといいますか、からかいたい心が瞬時にスパークして、ひとの会社の廊下をぴょんと跳ね、走って追いかけたりなどする(良い子は真似しないように)
先日、打ち合わせの前に時間が少しあって、一室に懐かしいオトーサンのお姿を見かけたので、勝手に入り座ってまったりお喋りしてきた(良い子は真似しない)
懐かしいイントネーションを聞きながら、あれ? そういえば、と思って尋ねてみたら、その方の故郷は福島だった。お母様の生まれが浪江町だと教えてくれた。親戚がたくさんいるけど、みんなバラバラで誰がどこにいるのかわからないよ、とおっしゃっていた。
子供の頃の思い出はたくさんあって、いいところだったよ。
と聞いて、わたしはうーん、そうですか、うーんといつまでも、ひとの会社のひとの椅子で頬杖ついて、そのまま、ずっとそうしていそうになってしまう。
きのうも打ち合わせに出て「時間なくて」なんて言っていながら、そのあと、どうしても観たい映画を観て来た、危うく終わっちゃうところだった。
ずっと前にこのブログにも書いた、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」が映画化されたと知ったときは、えーそんなー、だった。
確かに映像が浮かんでくる小説だけど、だからこそ難しいだろう。それにこの小説も、ストーリーだけのものではなく、読みすすめていくことで多くのことを感じとっていくもので、小説以外の表現では不可能なはずだ。
それにそれにあのSF設定も、映画になって映画を観た人々にただの設定としてああだこうだ言われるなんてイヤじゃないか。(しょうがないけどぅ)
でもほかでもない「わたしを離さないで」なのだ、気にならないわけがない。
観るならなるべく情報は入れたくない、と避けながらチラチラ見たりしてたら、どうもなんだかいい映画みたい・・・、で、もっと早く観たかったんだけど。
いい映画だった。衝撃が、小説とはまた違う衝撃なのだなあー。
映像、音楽、それにひとの表情や仕草。
なんといっていいか毎度のことながらわからないけど、わたしの感じたのは、「傷つく」がいちばん近い。おかしいかも知れないが、そうなのだ。いろんなシーンに傷ついた。心にある「傷つく」という記憶・感覚のすべてが呼び覚まされ深まっていくような。
ふらふらで映画館を出た。
もちろん作り物として脚本・演出に「うまいな」と唸るところもたくさんあり。
3人の若者役の役者たちも評判どおりにすごく良くて、映画の中で確かに生きているあの3人を観るだけでもいい映画じゃないかな。小説読まないひとたちにも観てほしいと思えた。んーけど、やっぱり小説にあるものとは、違うものではある。
男の子は「BOY A」の役者で、あの映画の存在感がすばらしかったけど、こちらでもいい。
はぁぁ。きょうになっても、まだ胸に傷がちゃんと残っている。
大事な傷なので、治さずとっておこう。
遊さんといえば、2月に水戸へ彼の演出作品を観に行った、その行ったばかりのところを、テレビ画面で何度も地震に揺れるのを目にして、ああー、と叫ぶばかりだった。
茨城には友人もいて、無事でよかったけれど。
水戸芸術館とACM劇場はまだしばらく休館とのこと(詳しくはHPを)
水戸で観る唐組はいいですよ、と聞いて、もしうまく時間とれたら今年、行っちゃおうかなーなんて言っていたのに・・・。
さてわたしはまだなんかきちゃないけど、きょうは打ち合わせ。
豚肉アスパラ巻きはよくやるんじゃないかな。えのき巻きも好き。
で、これは見てもわかんないけど、アスパラ巻きとズッキーニ巻き。
ズッキーニ巻き、おいしいのよー。これからの季節におすすめ。なるべく薄味にして、レモン絞って。
ずっと仕事でパソコンにしがみつき、きちゃなくなっていた・・・。いまも、きちゃない。
が、連休中なんとか「アニー」とあと1本観劇、これを観ることができた。
三軒茶屋シアタートラムの企画でリーディング三作品の一つが、このブログに何度か書いている大澤遊さんの演出だったのだ。
戯曲は北村想の「ザ・シェルター」で、気持ち盛り上がり、ものすごくたのしみだった。
もともと短い作品だし、リーディング(朗読)というのもあり、上演時間は約1時間。気軽だったのもうれしかったけど、とってもいい時間を過ごした。
ああーもう一回観たい・・・観るというか聴くだろうけどもう一回客席に座ってあの時間に浸りたい・・・と終わってから何度もため息。浸ったし、いろんなことを、考えることができた。
リーディングもいまは、ただ朗読するだけでないいろんな形での公演が行われているようで、それでもお客としてはやっぱり動く、芝居が観たい! と思ってしまいそうになる。なのだが今回はなんともこの形が心地よく、戯曲の良さを深く味わえた気がする。いい戯曲なのだなー、これがほんとうに。
観る前には北村想の戯曲って特に、朗読では表現できないなにか余りが・・・、余りこそが、なのじゃないか? 挑戦だな! とも思っていたんだけど、ほんと、すごいなあ遊さんは!
(もちろん芝居でも観たいなとは思ったし、「やってー」と思わず言っちゃったけど)
キャストもみんな良くて、ひとの声ってほんとうにいいなあ、とまた思った。
どわ。なぜか忙しく。ぼろっときちゃなくなってるよ!
前回の写真だけど、クリックすると大きくなって、紙袋に下書きの「アニ」とかいう字が読めて、おかしーんだよ。
ってどうでもいいこと書きにきちゃった。
書きたいこといろいろあるけど、またあした!(たぶん)
久しぶりに「ゴゴアメメンバー」カテゴリに。わたしのブログは「酒と肴」と「ゴゴアメメンバー」の二個になってるから、携帯に登録してるひと、どっちかだけにしてちゃダメよ。
「アニー」青山劇場にて観てきました。
去年夏のゴゴアメに出演してくれた近貞冬奈ちゃんがなんと「アニー」主役になったので。
もうねえ、あたしゃ孫を見るオバアチャンか、って感じだったよ。
どきどきもしたしね、がんばっている姿を見るだけで涙が・・・
オバアチャンだーよー。
ほんとはここに可愛いフユの写真を載せたいとこだが、ごめん。
謎のサインペンサッカの写真で。(ああものすごくごめん)
このサインペンサッカは・・・(頭頂部でご判断を)、青山プロントで見かけました。青山プロントで彼の姿はひときわ、異彩を放っておりました。いちどもお顔をあげすただ熱心におつくりになっていたので、残念ながら声をかけることはできませんでした。ああ残念。
まあ・・・ほんとは集まってフユに贈るカードを書いたわけだ・・・
相変わらず、全員、なんともアホな字のカードで。
大人が書いたと思えない・・・というか子供のほうがもっと上手に書くから。
カードはユタが選んできてくれたもので、表はすごく雰囲気のある美しい絵なのだが、その裏に最初に書いたユタの字がもう、ダイナシ。
フユに「どうよこのアホ字は・・・」と言ったら「・・・く」って苦笑してた。
でもね、みんな、念をこめて、書いたからね!
がんばってるフユ。最後までがんばって、そしてフユはフユらしく、たのしく、やさしくね。
いつも言うことだけど、
やさしいってことは、つよいってことなんだよ。
もうごはん写真やらないのですか? 献立迷ってるとき見てたのにー、困りますよう、などなどという声は・・・・・・
ひとつもまったくぜんぜんなかった! うはは! が!
また時々、やっていこうかと。ときどきね。
この間も、おかしいことに、のせないのになんとなく習慣で撮ったり、撮らなかったりしてた。見るとまあ、なんらかわりばえしないてきとーごはんなのだが、自分ではなんとなく、つくって並べたそのときの気分が見えるような気がしたりして。
なんつーかいっしょうけんめいだったなあ、などと思ったりした。
ただ日々食べていくことを、感謝しているつもりではいたけど、やはりそれが毎日、一生のことであると、意識しなくなる。
しっかり、感謝していただきます。
テレビを観るのを減らしてから、そのまま、あまりテレビは観ていない。観たい番組は録画して観る、あとはニュースを少しくらい。
かわりによく、ラジオをかけるようになった。料理するときや食べるときに。
もともとラジオ好きだった(深夜放送世代ね)ので、懐かしかったり、やっぱりいいなあと発見した気分だったり。
歳をとったっていうこともあるのかな、これ、とも思ったりする。
このままたぶん、ラジオ派になるわ、わたし。
なんとなく流しているだけで、どんな番組か、誰が喋っているのかもいまは気にしていないのだが、ひとの声というのはいいものだな、とラジオだと思うのが不思議。いまさらだけどテレビのひとは、なんであんな喋り方なのだろうな?
こないだ、ラジオからいつの間にか、トムウエイツが流れていて、なんだか気持ちにしっくりきた。
泣いてもいなくて笑ってもいなくて。くっきりもしてなくてぼやけてもいない。
ぴったりした気持ち。