マナちゃん新作。ソーダ色の小鉢に、ふきのおひたしを入れてみる。
写真が下手でわかりにくいけど、とってもいい色。
作家は新作について「あたらしいのは手触りが、なぜか前より柔らかいのよねえ」と言っていた。
わたしは触りながら、うんと頷く。ほんとうに柔らかくて気持ちのいい、触り心地。
「不思議だよねえ、触れないのにねえ」
ああつくるときガラスは熱いんだよね。
「触れないからいいのかなあ」と言う。「手はうるさいからね、目もね」
ああうん。
花水木がとてもきれいな季節になりましたね。
これは家の近くの。
マナちゃん展に出かけた日、その前に、お墓参りに行ってきた。
高校の同窓生の一周忌・納骨式にうかがうはずで、ずいぶん前からその日のことを思うと胸いっぱいだったのに、当日に風邪をひいて、急に欠席してしまったのだった。
申し訳ないやら情けないやらだったけど、やっと行ってこれた。
陽のあたる静かな場所で、彼女とゆっくり、お喋りしてきた。
また会おうね。
たくさん電車に乗った一日だった。
知らない街を抜けていく長い間、膝に花束をのせ不恰好に本を開いて、笹井宏之の短歌集「えーえんとくちから」(パルコ出版)を読んでいた。読むというより一列の文字たちに見入っていた。見入りながら、その一列ごとにどこかへ飛んでいっていた。
若い歌人の笹井宏之も、こちらにはもういない。
あちらには、すてきなひとたちばかりだ。
表題作の、えーえんとくちから、に続く短い言葉に心臓を掴まれて、この本を買ったのだった。
切ないうたは切な過ぎるほど切なく、でも、明るいうたもたくさんあり、いたずらにウインクしているみたいなうたたちにも、それはそれで、心臓を掴まれる。
あんまりすごくて、続けて読めずに、いちいち本を閉じてため息やらわけのわからない声を出してしまう。そうやって開いたり閉じたりしながら、何度もきっと、わたしはこの先、繰り返して読むだろうな。
このブログには本からの「抜粋・引用」をしないことにしている。
(そういう、わたしにはつまらぬ拘りがけっこういろいろある)
短歌はみじかいからひとつここにしっかり載せることもできるし、ちょっと誘惑にかられたけど、やはりやめておくことにした。
これは紹介の文じゃないけど、もしも読んでみたくなった、という方がいたら、本を買ってね。
やっと行けた! さいたまの「温々(ぬくぬく)」最終日。
マナちゃんとぎゅー! してきました。
写真はたくさんの作品のほんの一部、ちら見せです。
隅っこの草は、わたしからマナちゃんへのプレゼント。
なんか会場の雰囲気にはまってるよね、この草!
温々はカフェも広くて、日曜だからか、お客さんがたくさん和んでいた。わたしもマナちゃんとしばしお茶して、いろいろ話す。珈琲もケーキも美味しく、窓からは林の中の夕日がきれいに見えて、ちょっと遠いけどほんとうにいいところ。
ものすごく別れを惜しみつつ......、ことしはもう一度会える!
くまがいマナさんのガラス器展、今週29日金曜から、こんどは国立「暮らしのアートギャラリー」にてあります。あなたにぴったりの器に出会いに、お出かけください。
もう一冊、この間に読んだ本のこと、書いておこうかと。
こちらは小説ではなく、リカちゃん先生の本。
「世の中の意見が『私』と違うとき読む本」香山リカ(幻冬舎新書)
このタイトルに思わず買った! はははは。
えーけど、わたしのようなひとのことのじゃないです、リカちゃん先生に「あなたは・・・この本も読まなくていいです」と言われそう。
なんてふざけてしまったけど、この本とてもおもしろかったよ。最近のかなりいろんな、幅広い社会的な問題について書かれていて、特に若いひとにぜひ読んでほしいと思った。高校生とかに読んでほしいなあわたしは。もちろん二十代、三十代にも。
序章には「わかりやすさ」がなぜか強く求められるいま、について、リカちゃん先生らしく鋭くもニュートラルな視点で書いてある。
わかりやすいというのはもちろん、悪いことではない。でも、注意は必要だ。わかりやすさばかりを求めては、ほんとうのことがわからなくなる。
芝居をつくるときに、わたしもいつも役者たちに「わかりやすいことにすぐに飛びつかないで」「たまには難しいことにぶつかっていって」などと言うようにしている。それはどういうことかを、なるべく何度も、言葉を変えて伝えていこうとする。どこまで伝わってるのか? はわからないが、わたしはそれを伝えずにわたしの芝居をつくれないので、そうしている。
創作というのはわからないことを考えるものだとわたしは思っているからだが、でも、創作に限らず、ただ生きていくためにも必要なことだろう。
わかりにくいこと、答えがひとつでないことを考えてみること。
答えが出ないなら、考えたってしょうがない、なんて決めないこと。
考え続けることこそが一番大事なのだ、ということを、「伝えたい」気持ちが近年つよくなっていった。そういうふうに伝えてくれる作品、または場が、「世の中」に少な過ぎると感じるからだ。
面倒くさいのだろうか。ちっとも面倒じゃないよ。考えることに慣れてしまえば、かえって自分のことはシンプルになるものだ。
話が違うけど、いまは何事もあまりたのしめないというひとが、わたしの周りにはけっこういる。
元気だし、毎日やらなきゃいけないことをやったり、やらなかったりしてるし、食べたりのんだり笑ったりもしてる。けど......、というひとたちが。
わたしは「それでいいよ」と言いたい。ひとに迷惑かけてるわけじゃなし。
そういうひとはたぶん、わたしと同じで、もともと、元気ハツラツー!ってわけじゃなかろうよ。もともと不機嫌。もともとだるい。ガンバラナイ。
無理して明るくしようとせんでもええがな。ねっ。
暗くて結構!!
光っていたこれは梅の木。
ようやくどこへも出かけないで仕事でき、パソコンにしがみつき。出たり入ったりしながらムキになってパソコン叩いていたのはほんとにばかみたいだった。
まだとり返したいことは残ってる、マナちゃん展にも行けてないし。待ってて、マナちゃーん!
そういえば、最近はなかなか落ち着いて本も読めなかった。忙しかったからだけど、その前から震災後は気持ちが本の世界になかなか入ることができなかった。
そう? 読んでたよどんどん。というのはホンモノの本好きツワモノだと思う。
わたしも活字を読まないと寝つけないたち(古いなこの言い方)だから、なんでも開いてはみてたんだけど。
そんなわたしが、それでもいくつか読み終ったもののひとつ。
小川洋子「人質の朗読会」(中央公論新社)
これ読み出したのは震災のすぐ後(というか「後」というのもなにかそぐわないよねえ)にたまたま読み出して、小川洋子をいま読むのは静かすぎてしまうかなあ、と思ったが、これがいま読むとより感じるところのある作品だった。
現実に起こりえないようなことが現実に起き、見たこともないような景色が目の前に広がってしまえば、空想の翼はめりめりと音をたてて、折れるよなぁ、と思ったけれど、その翼にはたぶん再生能力があるとも思っていた。
生きていくとうのはほんとうに不自由なものだ、歳をとるほどそれがよくわかる。
でも自由にどこへでも行く羽を、誰もが持っているはずで。
......まあちょっと、忙しかったんだわね。
いろいろ重なって、でもきのうで、いちだんらく。したかなと。
元気ではいます。ありがとう。
これからとりこぼしたことを、とり返していきます!
けどこの間にいろいろのほかにも、実にいろんなことがあった。
揺れたり、揺れたり、それと関係なく、どうしてか悲しい報せが続けて届いたりした。
ほんの数日の間なのに。なんということなのだろう。
まだしばらくゆっくりはできないけど、時々立ち止まっていい、いいのだ、と思う。
ことしは桜を見なかった。目に入ってもああ、咲いてるな、ああ、もう舞ってるなと。
捻じ曲がりそうなこころを、ひとにぶつけたりはしなかった(そんなことしたくない)けど、桜にはやつあたりしたかも知れない。
やっと見あげてみたのは、いちばんのどさくさの最中だった。
「......やあ」とぼやいてみても、桜はやっぱり桜で。
9日10日の土日は、荒井くん&美代子ちゃん率いるIVYの一年に一度のダンス発表会だった。
9日に観に行き、久しぶりにゴゴアメに出演してくれた子供たちにも会えた。たまにしか会えないので、いろいろ話したいと思っていても、ステージ観終わった興奮でわーきゃー言うだけになってしまう。(ま、それでいいよね)
ホリヒロキがこんなときだけわたしのブログをチェックして、最近、あんまりアップしてませんねーなどと言ったため、たぶん、もう見ないんだろう(あはは)が一応、きょうはおもに、きみのために書くぞ!
お疲れ! ヒロキ! きみのストリートますますかっこよくなったね。
きみのはなんか荒井先生の振り付けから、「一味違う」感じがするのが、おばちゃん、おもしろいと思う。ホリヒロキ今年もうすぐなんと20歳! 今後とも精進してくれ。以上。
ミホ、ユメ、ハヤトとも去年夏以来で、胸いっぱいでした。(ん? ちっともおれが主じゃない? いひ)
ミホは一部ラストのミナコ先生振り付けのドラマチックなダンスが特に印象深かった。あたらしくカッコイイミホが見られたよ。
ユメはまたぐんと大人っぽくなっていて、きれいでみとれてしまった。バレエが似合うねユメは。
ハヤトは二部美代子先生の振り付けの最後になる曲がよかったな。先生はまだまだと言ってたけど、いい顔してたよハヤト。
大人たち、先生たち、明日香、スタッフのみなさん、震災からたいへんな状況での今回の発表会、きのう無事終了したことと思います、ほんとうにお疲れさまでした! どうか少しでもお休みくださいますよう。
で、わたしだが......、帰りの電車でなんだかふわふわするな......、と眉をひそめていたら、翌朝目が覚めたら喉がものすごく痛い。どうやら風邪。
ああ、そういえばあれは風邪の感じだったと思い出す。
ずいぶん長らく風邪をひかなかった(気をつけているため)ので、すっかり忘れていたのだ。
10日は大切な用事が入っており、そのためにいろいろ調整もとっていたし、ものすごく悩んだが、休むことにした。
よりによってなんでいま・・・と申し訳ないやら、自分に腹立つやら。サイアク・・・いっきに落ち込むけど目を開けていられなかった、もうほんとうに一日じゅう眠ってしまった。
おかげできょうは少しいいみたい。でもやっぱり頭痛が少し、身体あちこち痛くだるい。
ああ今週けっこうハードな毎日なんだ・・・なんとか乗り切れますようにーー。
先にこのブログに書いた、北海道のガラス器作家、くまがいマナさんの個展が、来週からいよいよ開催です。(このブログ写真にもしょっちゅう登場するガラス器のね。ホンモノはもっと素敵だよー!そしてなにより使いやすい! さわり心地もいいよ! さわりに行ってください!)
今年は埼玉、国立の二箇所でやるそうで、これはうれしいっ。
マナちゃんは、いまこの状況の関東でやることについて、いろいろ悩み、考えたそうです。きっと、心のこもった作品が並ぶことと思います。
4月14日(火)から24日(日) *月曜定休
さいたま「温々(ぬくぬく)」詳細はギャラリーのHP、こちらにてご覧ください。
場所、ちょっと遠いという方が多いと思われますが、行くととっても和む場所です。カフェもあります、お菓子もおいしいのだ。
そして4月29日(金)から5月8日(日)
国立「暮らしのアートギャラリー」詳細はこちら。
いまはどんなニュースにも怒る気にはなれなかったわたしだけど、水道水の件には心底、腹がたった。赤ちゃんのいるお母さんたちはたたでさえ不安な状況であったのに、あれはあんまり酷い伝え方だったと思う。
緊急事態に混乱もするだろう、それに結局、原子力の問題は未知過ぎるのだろう。素人だけでなく専門家も含め、人類がみな素人なのだろう、と思わずにいられない。
あれから日にちが経つが、原発関係の報道にはそのすべてに首を捻ってしまう。それでもわたしはしつこく、読み見聞きしていくつもりだ。
毎日、料理をするひとたちの手が、時々、ふっと止まってしまうことがあるのじゃないかな、となんとなく思い続けていた。
食べられないひともいるのに、ふつうに食べられているわたしたちは。
でも家族のために、きょうもごはんをつくる。自分も食べないわけにはいかない。健康のことだって考える、いままでどおり、なるべくバランス良く、と考える。
そうしていつもどおり、献立を考えながら買い物に行き、スーパーでやっぱり、ふっと何度も止まってしまうんじゃないだろうか。明かりを減らした暗い棚の前でみんなが。
暗くてもそこにはたくさんの食品が並んでいる。ないものはしばらくなくても困らない、ここにいるわたしたちは。でもないことが、どういうことでどうなっていくかを思わずにはいられない。
辛い思いをしているひとたちがいると、いまはみんなががんばっているのだと思う。だから止まってしまった頭と心をえいや、と動かす。止まってしまった手と足を動かす。
ほんの数秒のこと、でもその重たい繰り返しを、気づかずにもしてきたのじゃないだろうか。
そういう思いたちが、流されてしまったような気がした。
放射性物質のせいで出荷されなくなった野菜、魚。
こんど止まってしまった手は、もうただ振り切らずに考え続ける。これでいいのか、と。
考えてない。どもども! また来てくれてありがとう。
さあ、ご一緒に。ふー。
先週はばたばたと終わっていった。今週もそうなるだろうな。
仕事も、日ごろからちょっとしか働いていないわたしだけども、地震の影響で打ち合わせが飛んだりした後、よちよち歩き(わたしの平常運転)で再開している。
毎日同じ場所へ通って働く方々が、今回は少しうらやましく思えた。
や、そういうことが出来ないからこうなんだけどもさ。
なんだか時間の感覚がちょっとおかしくなってるみたいで、地震前のことが「昔」に感じる。
11日に美容院にいたことは前に書いたけど、午前中は健康診断に行っていたのだった。その結果を聞きに、1週間と少し後に行っただけなのに、ずうっと前の話のように思えてしまった。
ジンマコでお世話になっているいつもの先生で、顔を見たら懐かしいくらいだった。
またものすごく待たされた後で、ほんとうに忙しい先生なのだけど、診察は急がない。診察室からはよく笑い声が聞こえてきて、いい医師だなと思う。
ジンマコはおかげさまで、ものすごく良くなった。まだ薬は引き続きのんでいるけど。
でもあの日は、久しぶりに痒かったです・・・と先生に言うと「ああ」、顔を見合わせ「ストレスで」。
二人で噴き出してしまった。
ストレスで痒くなるというけどちっとも関係なーい、とわたしは言ってたからね。あのときはじめて、あっこれか、と。
ものすごく怖かったのに頭の片隅で「先生、わかりましたー」って手をあげたかった。家でひとり、じゃなくジンマコがいたと。たはは。
ただ待合でいたら、いま(いまより前のことだけど)アレルギーのひとたちはかなりたいへんだ、とわかることもあり、わたしなどが先生のお邪魔をしてる場合でない、たくさんの薬をもらい帰ったのだった。