ども。なんか毎日、あ? えっ? はーなんだ・・・ えっえっ? なんだそりゃ。という感じで緊張と脱力を繰り返しており、紙屑みたいだな、わたしは。ころころ転がっておるわ。
と思うがよく考えたら(いや、考えなくとも)それはいまにはじまったことでなく。
もともと紙屑でござんした。
きのうは久しぶりにイライラっとして、お風呂をキャンドルで入ってみたら、よかったよ。
紙屑は紙屑らしく、転がっていこう、力入れずに。
ふー。どりゃ、やれそれ一服だ。
でも無事のみんなが、ふつうに暮らすのに力をいっぱい使っていて、一日が終わる頃にはぐったり、なのじゃないだろうか。
先日、芝居を観に行き友と少し酒をのんだりできたし、お彼岸なので母と弟夫妻と墓参も無事行けて、一緒に食事もできた。
それでシンセキみたいな友たちや、ナカマのような家族たちといつもの冗談を言い合い、笑ったり笑った顔を見たら、それがなにより、疲れを吹き飛ばすのだなあと。
北海道に暮らす、ガラス器作家のマナちゃんからメールをもらった。
4月に埼玉で予定していた個展が、地震によりそのギャラリーにも被害があり、できなくなったとのこと。たのしみにしていたから、わたしも残念だ。
でも4月末からの国立(暮らしのアートギャラリー)での個展はやるそう。
「負けない」「きょうもガラス吹きます」とマナちゃんのメールにあった。
「負けないまけない」と返信した。
マナちゃんは前からずっと、いろんなことを考えているひとだ。
ガラスをつくることが、地球のエネルギーを消費することにもなるから、ということも考えて、できることをいつも配慮していた。
そんなに真面目に考えすぎないでもいいよ、と言いたくなるくらいに。
マナちゃんの考えと意思は、わたしなどにはお伝えできない。ただわたしは友として、そしてマナちゃん作品ユーザーとして、新作をたのしみに待っている。
あの日、わたしは家の中がどうなってるかとびくびく入って行き。本やビデオはだいぶ散乱していたのだけど、どういうわけかダイニングはほぼ何も落ちていなくて、食器はひとつも割れなかった。
いちばん、印象深かったのは、マナちゃん作のガラスの水差しが、(水は入ってない、洗って拭いて、すぐ使うから、いつもたいがいそこにある) テーブルの隅に、そのまま、そこにあったこと。
そのときはすごく怖かったけどそれでも「すごいよマナちゃん!!」って、心で呼びかけてしまった。
そのこと、メールに書いて送った。
わたしはマナちゃんにふだんから、力をもらっている。
マナちゃんのガラスたちはきっとたくさんのひとをいつも、いいほうへ向けてくれている。
だから負けないよ、どころか、「ありがとう」なんだよ。
という、その「ありがとう」メールに、マナちゃんから「ありがとう」とメールをもらった。
もしも小さななにかが届けられたのなら、わたしにも少しはいいとこあるのかって、思えた。
よし行こー。また一服で会いましょう。