あ、ども。ここに来たということは。うんよかった。
ちょっと一服しましょうか。ね。どうぞ。吸わない方は、深呼吸でも。
疲れましたね。胸が押しつぶされそうで。
テレビつけっぱなしでしたが、恐ろしいのと悲しいのとでへとへとです。
わたしは都内の美容院でいました。11日、最初の揺れを感じたとき。
シャンプー台で仰向けでいた。間抜けで笑っちゃいますが、ほんとうに、怖かった。あんなに怖かったのは人生で初めてだと思いました。
長い揺れだったので、身体起こしてから、まだしばらくそのままでいて、美容師さんたちがほかのお客さんたちを机の下に避難させて、一人の方が、わたしにも手を差し伸べてくれた。
そのときの一瞬が目に焼きついてしまった。すべてが揺れていて。
「あ、ここで」と頭によぎってしまった。
ふつうと違うな、これですまないんじゃないか、というのや、いやでも、ほんとうはもっと恐ろしい揺れなのだ、というのや、それで地震が怖いのは確実に、いまどこかでそれが起きているのだ、ということなんだね。
たぶん一瞬のうちに、ほかにもたくさんのことが、一気に頭を駆け巡っていた気がする。
だから怖いといっても、身の危険というだけでなくて、ほんとうに圧倒されるような恐ろしさだった。
最初に怖かったから、後はもう駄目、ずっと怖いのね。
髪は洗い流してもらい、帰ることにした。ほかのお客さんたちも同じく。
美容師さんたちみんな若いのに、親切にしっかりと対応してくれた、感謝。
でも何度も揺れるし、電車も動いていないし、帰れるものなのかと逡巡して。そうしていたら、タキが美容院あてに電話をくれた。
タキは打ち合わせに行く途中で電車が止まって(幸い、彼は駅で停車中だった。線路を歩いていた方々はどんなに怖かっただろう)、携帯がまったく通じなかったから、公衆電話に並んでかけてくれた。
わたしたちはそこで、互いの無事を直接確認できたんだから、まだよかったんだね、というのは後から思ったことだ。
互いに家に帰ることにして、それからが、長かった。
わたしは、帰って家族に電話をしないと(みんながばらばらなところにいた。それにタキのご両親は長野だ)、というのだけは思ったけれど、ほかにはなんにもできないことを思い知らされた。
タキとはその後、まったく連絡がとれず。
携帯は夜11時くらいまで、メールも電話もまったく通じず(わたしはドコモ)、思いついてショートメールを打ったのが一度ふいに送信できたけど、相手に届いてるかどうかはわからずで。
不安でどうにかなりそうな気がして、しっかりしなきゃとは思うけど、わたしというのは自分が動いてるときは強いが、待つのはもともと苦手、まったく弱い。
タキが無事、家に帰ったのは夜11時半頃。その時間に帰宅できたのは、充分、マシなほうだということはもうそのときには、わかってた。
思うことや考えるべきことがたくさんある、でもみんな、ともかくまだ、気をつけていましょうね。
気をつけようもないようなところもあるけど、それでもね。