なに。一服もおちおちできないですよ、って。なるほど。
ふー。(あっ、なのに!)
先週末、長野へ行って来た。
新幹線が埼玉スーパーアリーナを過ぎるときに、大きな建物の窓辺に並んだ鞄が、目に飛び込んできて、胸いっぱいになってしまった。
長野へは、先月から入院している義父のお見舞いだった。
いつ行こうかとスケジュールを睨んでいたら地震があり、なにをどうしたらいいのかさっぱりわからなくなり、ようやく行けた。
日常を続けていられることに、いまは感謝するしかない。
けれど、日常とはなんて、いろいろなことに揺すぶられているものなのだろう。
一泊の短い時間、切なく、でもそんなときにもうれしかったりありがたかったりして、なんて複雑なのだとも思う・・・
ただ一瞬いっしゅんを受け止めていくだけでいいのだ、それだけで、と、自分に言い聞かす。
身近なひとの役にもたてないほど、わたしは力がない、それでも手を伸ばして。
んじゃー、次から変えるかー。
ふー。
あ、前回のブログ書いたあとに、マナちゃんからお知らせあり。
埼玉のギャラリーさんが、再開のめどがつき来月の個展もやる方向で動き出したとのこと。
よかった。
近づいたらここで詳細のご紹介するね。
ところでわたし先日、6、7年ぶりに携帯電話買ったよ。
メガネといい、どんだけモノを買い替えないヒトなのか、っていう感じだよね。わたしは10年は使いたかったのだ! はは。
なにもいま、買い替えなくても。いま携帯買うひとも多いんじゃないか、とだいぶ抵抗あったんだけどさ。タキの(同じのを同じ期間使ってる)携帯のバッテリーが少し前から危うくなっていて、バッテリー変えるなら、さすがにもう買い替えよう、となって。
ケイタイ、いざとなったら通じないことには散々だったが、ただバッテリー切れするのはバカみたいだからね。すぐにいままでどおりに使えるのがいいから、操作ができるだけいままでと同じようなものにしようと選んだが・・・そこには6、7年の壁が。
ねえ、なにこのヒツジのシツジ。
ドコモ使ってるみんなー、いつからいたのこのヒツジは・・・
気になってヒツジの様子が見たくなる。見るとお辞儀したりされるから、お辞儀仕返したりする。
ど、ども。
6、7年もの間に勝手に指が覚えていて、メール打つとむちゃむちゃになる、ひと苦労中ー。
ども。なんか毎日、あ? えっ? はーなんだ・・・ えっえっ? なんだそりゃ。という感じで緊張と脱力を繰り返しており、紙屑みたいだな、わたしは。ころころ転がっておるわ。
と思うがよく考えたら(いや、考えなくとも)それはいまにはじまったことでなく。
もともと紙屑でござんした。
きのうは久しぶりにイライラっとして、お風呂をキャンドルで入ってみたら、よかったよ。
紙屑は紙屑らしく、転がっていこう、力入れずに。
ふー。どりゃ、やれそれ一服だ。
でも無事のみんなが、ふつうに暮らすのに力をいっぱい使っていて、一日が終わる頃にはぐったり、なのじゃないだろうか。
先日、芝居を観に行き友と少し酒をのんだりできたし、お彼岸なので母と弟夫妻と墓参も無事行けて、一緒に食事もできた。
それでシンセキみたいな友たちや、ナカマのような家族たちといつもの冗談を言い合い、笑ったり笑った顔を見たら、それがなにより、疲れを吹き飛ばすのだなあと。
北海道に暮らす、ガラス器作家のマナちゃんからメールをもらった。
4月に埼玉で予定していた個展が、地震によりそのギャラリーにも被害があり、できなくなったとのこと。たのしみにしていたから、わたしも残念だ。
でも4月末からの国立(暮らしのアートギャラリー)での個展はやるそう。
「負けない」「きょうもガラス吹きます」とマナちゃんのメールにあった。
「負けないまけない」と返信した。
マナちゃんは前からずっと、いろんなことを考えているひとだ。
ガラスをつくることが、地球のエネルギーを消費することにもなるから、ということも考えて、できることをいつも配慮していた。
そんなに真面目に考えすぎないでもいいよ、と言いたくなるくらいに。
マナちゃんの考えと意思は、わたしなどにはお伝えできない。ただわたしは友として、そしてマナちゃん作品ユーザーとして、新作をたのしみに待っている。
あの日、わたしは家の中がどうなってるかとびくびく入って行き。本やビデオはだいぶ散乱していたのだけど、どういうわけかダイニングはほぼ何も落ちていなくて、食器はひとつも割れなかった。
いちばん、印象深かったのは、マナちゃん作のガラスの水差しが、(水は入ってない、洗って拭いて、すぐ使うから、いつもたいがいそこにある) テーブルの隅に、そのまま、そこにあったこと。
そのときはすごく怖かったけどそれでも「すごいよマナちゃん!!」って、心で呼びかけてしまった。
そのこと、メールに書いて送った。
わたしはマナちゃんにふだんから、力をもらっている。
マナちゃんのガラスたちはきっとたくさんのひとをいつも、いいほうへ向けてくれている。
だから負けないよ、どころか、「ありがとう」なんだよ。
という、その「ありがとう」メールに、マナちゃんから「ありがとう」とメールをもらった。
もしも小さななにかが届けられたのなら、わたしにも少しはいいとこあるのかって、思えた。
よし行こー。また一服で会いましょう。
ども。元気かな。
わたしずっと早寝早起き。そうなっちゃってる。
朝起きて新聞読んで。やはり辛いしいまは悲しいだけでなく怒りがこみあげてくることも多いが、テレビよりはいくらかいい。頭の中少しは整理しながら読めるし。もちろん情報の速度がないから、テレビやネットも見ざるを得ないけど。
よし、一服しよう。
「ゴゴアメ喫煙所」(無煙)(お茶菓子持込可)だもん。
ふー。・・・やー老母が一人で暮らしてるから、マメに携帯にメールしてるんだけどさ。
母は携帯メールができる、これはなにかと良い。けどネットは見られないから、「計画停電」の情報がわかりづらいだろうと思い、わたしが調べてメールしてやろうとするのだがこれが・・・
「停電なかったみたいだね」ってメールしたら、「あったよもう」みたいなことになったりはしてる。あらごめん。
老母はいま身体の調子が悪くて、停電で暖房がつけられないのに困ってる。ふつうより寒さを感じやすく、寒いと具合が悪くなる。
母の家では一日二回、停電したりして、こっちもハラハラではある。
毎日、なんにもできないようでやることいっぱいなようで。
もともと今月後半から来月は、予定が決めづらい理由があったのだ。
仕事もあるから、観劇のスケジュールについてはたてられずにいた。
こうなって・・・。
いろんな公演が中止・延期をせざるを得なかったり、または引き続きこの状況下での、中止か決行の非常に難しい選択を迫られている。それも小劇場の公演は・・・と思うと、ほんとうに、わたしならどうするだろう、と大きく息を吐いてしまう。
知人たちが関わる公演が選んだ答えを報せてもらうと、うん、うん、とそのどちらの場合にも頷き、どちらにも励ましの言葉を探している。たよりないなと自分に思う・・・
行うことを決めた公演へ、応援しに行きたい気持ちはすごくある。
ふつうに観に行って、文句でも言ったりするのが友へのいちばんの応援だ、って思うんだけどね。
(あん? 文句言うなら来なくていいって?)
でも、それができないかもで。どうしても動けないとかいう状態ではないのになんだかまったく・・・。
それでも小劇場に関わる友たちに、応援のエールをつよく、念で飛ばしておく。
ほい、行きましょう。んじゃまた、一服タイムでね。
や、ども。ここに来たということは。一服しますか、また。へへ。
吸わないひとは、深呼吸・・・、あ、自前でお茶でもどうぞ。
ここはさ、煙ないからくさくないし。吸わないひともいいでしょ。
しばらくここは開けておくよ、「ゴゴアメ喫煙所」(無煙)
ふー。といっても、わたしが話すより、ほんとは来てくれたあなたの話を、聞きたいんだけどね。
わたしはなんにもしてないし、いつもどおりどうでもいいことしか話せない。
そりゃまあいろいろなことがあったし、地震と直接関係なくどうしようか困ってることもある。でも、ま、それらはなんとかなる。なんとかする。
スーパーねえ。スーパーもきのうは電気減らして薄暗くしてやってたね。
12日はへろへろだったから、やっと「買い物には行くか」と行った頃には、入場制限してて、ちょっと驚いた。でもそう混乱してる様子はなかったね。みんな落ち着いてたよ、とても。
翌日は別のスーパーに行ったけどもう、スーパーもドラッグストアもコンビニも棚がガラガラで。それは確かに異様な光景ではあったよね。
避難場所で食料を待つひとたちのことを思うと苦く、いま、ここで、どうしても必要なわけではないのに・・・と自然と口をついてはしまった。
でも物流の問題も、被災地へ送ることを先行していることもあると聞くし。
それにいまここでも家族を、子供たちを守っていかなきゃ、というひとたちの気持ちを思えば、ね。そんなに嫌な気持ちにはならないよ。
自分の買い物カゴを見おろせば、いかにもこころもとなく、なんといおうか何事も遅し、とか根本的になってねえな。とは思ったけど、ま、わたしのようなヤツはいるけっこういる。たぶん、あなたもそうじゃ。一緒にするなって。ふふ。
長いレジに並んでたら、きょうもキッチンに立ついろんなひとのことを思った。
お母さんお父さん、店員さん、ひとり暮らしでなんでもいいやっていうひとも。
キッチンに立てることはすばらしいことだったんだね。
だからたのしんで、知恵を絞ってくれたらいいなと思う。
わたしもあれから、さっと火を通すとか、ちゃっとつくれるものしかつくりたくない気分が続いていて、でも節電節水って頭で考える前に、気分がそうなってくれるものだと思った。
意外とちゃんとしてるもんだよ気分。
さ、行きますか。んじゃまた。一服したくなったらね。
あ、ども。ここに来たということは。うんよかった。
ちょっと一服しましょうか。ね。どうぞ。吸わない方は、深呼吸でも。
疲れましたね。胸が押しつぶされそうで。
テレビつけっぱなしでしたが、恐ろしいのと悲しいのとでへとへとです。
わたしは都内の美容院でいました。11日、最初の揺れを感じたとき。
シャンプー台で仰向けでいた。間抜けで笑っちゃいますが、ほんとうに、怖かった。あんなに怖かったのは人生で初めてだと思いました。
長い揺れだったので、身体起こしてから、まだしばらくそのままでいて、美容師さんたちがほかのお客さんたちを机の下に避難させて、一人の方が、わたしにも手を差し伸べてくれた。
そのときの一瞬が目に焼きついてしまった。すべてが揺れていて。
「あ、ここで」と頭によぎってしまった。
ふつうと違うな、これですまないんじゃないか、というのや、いやでも、ほんとうはもっと恐ろしい揺れなのだ、というのや、それで地震が怖いのは確実に、いまどこかでそれが起きているのだ、ということなんだね。
たぶん一瞬のうちに、ほかにもたくさんのことが、一気に頭を駆け巡っていた気がする。
だから怖いといっても、身の危険というだけでなくて、ほんとうに圧倒されるような恐ろしさだった。
最初に怖かったから、後はもう駄目、ずっと怖いのね。
髪は洗い流してもらい、帰ることにした。ほかのお客さんたちも同じく。
美容師さんたちみんな若いのに、親切にしっかりと対応してくれた、感謝。
でも何度も揺れるし、電車も動いていないし、帰れるものなのかと逡巡して。そうしていたら、タキが美容院あてに電話をくれた。
タキは打ち合わせに行く途中で電車が止まって(幸い、彼は駅で停車中だった。線路を歩いていた方々はどんなに怖かっただろう)、携帯がまったく通じなかったから、公衆電話に並んでかけてくれた。
わたしたちはそこで、互いの無事を直接確認できたんだから、まだよかったんだね、というのは後から思ったことだ。
互いに家に帰ることにして、それからが、長かった。
わたしは、帰って家族に電話をしないと(みんながばらばらなところにいた。それにタキのご両親は長野だ)、というのだけは思ったけれど、ほかにはなんにもできないことを思い知らされた。
タキとはその後、まったく連絡がとれず。
携帯は夜11時くらいまで、メールも電話もまったく通じず(わたしはドコモ)、思いついてショートメールを打ったのが一度ふいに送信できたけど、相手に届いてるかどうかはわからずで。
不安でどうにかなりそうな気がして、しっかりしなきゃとは思うけど、わたしというのは自分が動いてるときは強いが、待つのはもともと苦手、まったく弱い。
タキが無事、家に帰ったのは夜11時半頃。その時間に帰宅できたのは、充分、マシなほうだということはもうそのときには、わかってた。
思うことや考えるべきことがたくさんある、でもみんな、ともかくまだ、気をつけていましょうね。
気をつけようもないようなところもあるけど、それでもね。
きのうはとんでもなく寒かったね。
震えながら打ち合わせに行き震えながら帰る。参るー。
いつまでも寒いし、なんとなしに気持ちが重い。確定申告も健康診断も今度こそもっと早くちゃっちゃとすまそうと思うのにまだ・・・だめだなあ。それ越えたらお彼岸、その後父の命日で3月というのは・・・
そんなだからスーパーで野菜がちゃんとどんどん、春野菜になっていっているのに、おお! と感激してしまった。
ふきのとうやこごみも出てるし、キャベツもどんどん春キャベツらしくなってきて。
早春キャベツと思いつきでセリを入れて。アンチョビ、にんにく、唐辛子でパスタ、おいしかった。
しかし本日はこの料理方法に感動。斬新、おもしろすぎ!! アスカ天才!
前日のちらし寿司の残りをセイロ蒸しにしてみた。ゴウカな朝ごはん。
レンジでちょっと温めたりするだけでも、美味しいんだよね。
先日、DVDで韓国映画「息もできない」を観たら、ものすごくこれがよくて、興奮してしまった。
良い作品に出会ったとき、それのどこがどういいのか言葉にできない自分が、いつももどかしい。けどわたしは「言葉にならないもの」を求めてもいるんだから、いいのか? とも思う。
ってわけで、いつものように「紹介」にはならず、ぐだぐだな「日記」になるけど書く。作品紹介は、このHPで見て。でもねえ、この映画、こういう「世界が泣いた」とかいうコピーには捕らわれずに観てほしいな。泣いたかどうかじゃないからね、映画は。あたりまえの話。
監督(脚本も)ヤン・イクチュンが主演している。
北野武監督の映画と似ている、けどもちろん違うところもたくさんある。これについてはしかし、置いといて。
韓国映画というのはパワーがほんとうに凄い。それはおいとけない。凄い。ほんとうに凄い。ほら凄いとしか書けないよ・・・
わたし、観始めてからすぐに、なんかフシギな気持ちになっちゃってさ。
自分が昔、映画(わたしは8ミリ小僧だったのだ)つくってた時の気持ちをすごく思い出してしまい。どういうふうに撮りたかったかを。
この映画は低予算でレンズも買えなかったというから、それでこういう絵かと納得するんだけど、なんていうかその撮り方から音楽のつけ方から、すべてが好みだった。
そして「お話」よりも、映画の中で確かに存在している人物たちに、観ているこちらの心が、しっかり動いた。
現実により「似てる」ことが「リアル」なのではなく、創作物の中に真実があるかどうかなのだといつも、思うんだよなあ、それをやるのは難しいけどさ。でもやろうとするのとしないのとではまったく別物。
それから監督はわたしよりずっと若く、世代が違うのになにか持ってる思いというのか、自分と近しいように感じた。たいてい作り手との世代の差って、良くも悪くも、感じるものなんだけど、こういうこともあるんだなあ。
で、DVDには監督のインタビューがついてる。これがね・・・
作中のチンピラ役が強烈な印象を残すので、その余韻で観ると噴き出してしまう。(だから必ず作品観た後に観てほしい)
ぜんぜんっ違うひとじゃん、おっもしろい。
インタビューを聞いてるとかなり頭の良い方で、なかなか、恐ろしい。
けど、自分のやりたいことしかやらない、ということを言っていて、とっても元気になるよ、このインタビューもおすすめ。
あとはもう、観たひととしか話せない。
いい映画はたくさんあるけど、好きだ! と思える作品って実はなかなか出会えないので、なんかもうめちゃめちゃうれしいわたしなのだった。
わたしだからねえ。クッキーつくりだした時点で、どんな悪いビョーキになったかよちなが?
と、のけぞらせたかと思います。ぶははは。
そいえば。最近、ジンマコのことを書いてないがどうなのか、つーと。
どっこい生きております・・・ジンマコ(満5ヶ月)。
だいぶ手がかからなくなりわたしもわたしのことをやれるようになってきてはいて。でもまだまだやんちゃなジンマコ(5ヶ月)、夜泣きもまだしてます。
というわけできのうはちょっと久しぶりに病院。
いまの病院に行きだしてから、毎週のように診てもらい、忙しかったけど、最初にまめに診ていただいたのはすごくよかったと思う。感謝。
しかし相変わらず混んでて今回は2時間半くらい待った。うへ!
引き続きアレグラ。オリーブオイル。
顔の吹き出物がひと月以上も居座ったまま治らないと言ったらそれの薬(注・じんましんと別の薬。吹き出物にステロイド塗ったりしたらひどくなるそうです。ご注意)も出してもらう。抗生物質も出る。うう。薬づけやん。
薬局で「ストレスの多い暮らしをされてますか?」と聞かれたので「いーえー」とまたも答える。この答え方、どうにかしようかな。ばかみたいだもんな。
「クッキーつくってます」とか答えるか。
セイロ、野菜も肉も魚も蒸しまくり中。
今回は「せいろで蒸す」(前に書いたレシピ本)からトマトの肉詰め。
ちょっと蒸し時間が長くて、崩れてしまい見た目悪いけどすごーく美味しかった。ナツメグがきれていて、シナモンとカルダモンを挽肉に混ぜたのだけど、これがものすごくいい味で、なんか発見だった。
隣はきのう書いた「おからサラダ」
きなこ餅に見えるけど。
クッキーつくってみた。やはり相当おたおたしながら。
上達する気がしないよ、お菓子。
うっすらああこういう感じだったよクッキーつくるって、と思い出したが、うっすらぼんやり。
さてお味は、うん素朴! だけど好きな味。さくっとおいしい。黒糖の風味がいいし。自分でつくったもんはおいしいんだね。
またクッキーつくってみよう。それをたのしみにまたガンバルかーー。
うーいしょーー(伸び)
パックのおからを買って量があったので、おから煮以外もやってみるかと、クッキーと、サラダもやってみた。おからをよくから炒りして(ふわさらっとするまで)から塩少々をふって、きゅうりやたまねぎやハムと一緒にポテサラのようにあえる。マスタード、マヨネーズ、塩少々、寿司酢少々。
お菓子じゃないと自然にできるんだな、ばっちり。簡単だしおすすめ。ビールのお供にも良いかなと思う。