なんてかわいいんだ・・・
マナちゃんにお願いごとした上にプレゼントしてもらってしまった。えーんごめんなさい、ありがとう!
「木のスプーンにのせたりしてください」と手紙にあったのでやってみた、もうーなんでこんなこと考えられるんだろうか!
もともとはクリスマスのオーナメント、展示会の飾りとしてつくったものだそう。
ずっとテーブルに置いて、眺めてはほーっとしみじみしている。
きのう、眼鏡屋さんで度を二段階上げた試しレンズをかけてみる。
かけただけで、くらくらする。そうなら立つともっと、というので立ってみる、わーきゃー言う。(ほんとに騒がしい客だな)
しかし、これはすごい。
近くはまあ、そう、変わらないのだな。少し離れたところが、まるで違う見え方。
これはもう、見えるとかいう問題を越えて「棲む世界が違う」のだなというのが、実感。
わたしにとってこの店の窓の向こうは「外」、曇って寒くてなんかボヤッとした外、だったのが、実は違い、窓の向こうは大きな通りを挟んでいるが「本屋」で「いま白いダウン着た女性のお客さんがいる」クッキリ。ぜーんぜん違う。
あ、ボヤッとしてたのはわたしなのね! と気づかされる。
あっちの壁に時計がかかっていたのなんて知らなかった、びっくりして、ふつうの時計をまじまじとみつめてしまう。見えないことに慣れてると、見ない。意識をしないのだ。
時計が目に入ると、ひとは当然「時計だ」というだけでなく、「いま何時か」という情報まで自然にキャッチするわけで、なんか一気に情報が増える。情報の嵐だなこりゃ!(・・・ということを考えてるので、実際は何時か見てない。どうなってるんだ?! 目じゃなく、頭!)
これでもまだ0.8の視力にしかなっていないそう。
・・・どんだけボヤボヤ生きてるのか、ってことだよなあ。うう。うう。反省。
けど、明るすぎるよ世界。白内障を経験した方々は、手術後にみなさん「世界はこんなに明るかったんだ!」と思うとよく聞きますが(ウチの母も言っていた。母は手術後、わたしよりも目が良くなり、時々、びっくりする)こういうことかー。
けど、ひとってそんなに見えてなきゃいけないもんかな。いいんじゃないかな、そんなには、見えなくても。と、また意味なくつまらぬ反抗心を発揮するわたし。
だってぇあたちはこのボヤーとした薄暗い世界でいたいんだもの。だめ?(どうぞご勝手に!)
まあ、外用眼鏡をつくりました。セール中にと。
これ芝居観るときかけたら、なんか、感じ方まで変わりそう。
余計なことにいろいろ気づく嫌ぁな客になったりしてね! ふふふん!