小川軒に鎌倉小川軒があったのね、知らなかった。
味の違いはわからねど、「やっぱりおいちい!」
こないだ服のことを書いたけど、化粧もねえ。
もともとちゃんとした化粧をしてないが(何事もちゃんとしてないんだな、はぁ)いまはやはり、薄くしかしてない。打ち合わせとか、人前に出るとき失礼だよな、とは思うんだけどね。
化粧と共に問題なのは髪。
ときとう先生は髪の毛染めるのも、止めたほうがいいはいいって言うんだ・・・(そういうので引き起こすひともいるからと)
「えーーそんなわけにはいかないですよ、だって白髪がーー」と思いきり抵抗。
でも実際、美容院に行けず、白髪だらけ。
白髪だらけ+化粧もほぼしてないオバチャン、服もルーズ、って、世間のみなさま、ほんとお見苦しくてスミマセンです!! そらオバチャンのことなんか見てないでしょうが、目には入るわけで、イヤアよねえ。
ときとう先生とそんな話をしたのは、だいぶ前なのだけど、その日その後、ちょっと、考えちゃった。想像しちゃった。
髪、染めないわけにいかん、ってわたしは言うが、いやまあ、ですよ、染めずに暮らしてるひとだっていっぱいいるよな、と。
髪を染めず、化粧もしない、食べるものや飲むものすべて、いまとは違うような暮らしをするって、アリだろうか。そうなるともう、なんか自分じゃない気がする。
「いまとは違う自分」ってことだね。
違う自分になるっていうのは嫌じゃない、別にいまの自分にたいした拘りはない。
50代に向けて、まったく違う自分になるのもいいかも。
表面だけじゃなくて、自分の仕事や書くもの、もっと根本的に自分の考え方、そういうものも全部、変えるとしたらどうなるだろう。
求めたのに得られなかったこと、届かなかった思いや感情、ささやかなことでもそれらは人生にとても多く都度に悲しくなる、だがほんとうにそれらは、なくてはならないものだったのか?
「それは自分にほんとうに必要か?」って考えたら、なにが残り、なにが消えるだろう。
ってね。そう思うとなんか、おもしろかったのだ。
だいたいわたし昔から「必要かそうでないか」っていう考え方自体をしないんだな、ってわかったよ。だって必要なものごとよりも、無駄なことのほうが好きなんだもん。ははははー、あーだからそんな人生なのか、そうだよん! 無駄無意味むら人生だよん!(開き直りかい)
そんなわたしであるから、「それはほんとうに必要か?」っていう言葉を書いた一枚のカードをぽんとアタマの引き出しに入れてみたら、なんだかすごくあたらしい角度ができた、感じがした。
わたしも仕分けするか。しないしない。そう簡単に仕分けてたまるか、この無駄ゴミ箱人生を!(開き直りに加え強気)
そんなわけで、なにが必要か、なにが不必要か、はいまだにちっとも考えていない。
考えないまま、ちょいちょいカードをとり出してみている、やっぱりおもしろい。
「それはほんとうに必要か?」
はい、酒は必要です。(ブレないねえ)