で、これ。干しりんごをヨーグルトに入れて、ドライカレーと遅い昼ご飯。イッタラティーマの黄色い皿、いつも魚とか入れててごめん、これでどう、はは。りんごはほんとうに煮たみたいな(とも違う)甘さで、ドライカレーに混ぜても美味しかった。ドライカレーは今回あまり辛くしないで、カルダモンをきかせてみたのも、りんごと合ってた。
またちょっと前の話になるが、マクバーニー演出の「春琴」、今年も観ることができた。
初演から三度目、幸運にもまたチケットがなんとかとれたのだ。今回は二階席からだったけど。全体が見渡せたのはよかった。ただ、離れてると客観的な感じにはなるので、もっと間近で浸りたかったなとも思った。
それでも充分、浸った。
久しぶりに「非日常空間」に身をゆだね、しあわせな時間を過ごした。そんな芝居にはなかなか出会えない。ただただたゆたうように、それでいて二時間、息を止めたままのように。
再演のたび、どこがどう変化しているか、ぼうっとしているわたしにはわからないのだが、観終わって今回はいちばんの完成度だった気がした。
初演から恐ろしいほどすべてが精巧に出来て一部の隙もないような作品が、こうして何度も繰り返されているというのは、スタッフも役者も機械のように働いているようにも思えるのだが、作品全体は冷たいツクリモノではなく、イキモノのようで、蠢くそのイキモノの体温や、息を感じてしまう。いったいどうなっているのだろう。
精巧さや完璧さに高い評価があるのだろうが、わたしはマクバーニーの凄いのは、この「生きてる」ことにこそあると思う。
そうしてわたしは毎回、同じところで泣いてしまう。
二人が、空へ小鳥を放すところだ。
なぜそこなのか、これはやはり歳をとったひとたちには、わかるんじゃないかなあ。