高山なおみさんレシピふう(甘さは更に抑えた)に、大根おろしでさっぱりと。
青菜はかぶの葉。かぶの葉って、おいしいよねえ。
明日香のブログ、ほんとおもしろい。
わたしが原稿を書こうとパソコンの前で「うーん」と唸りだしたときに、アスカはとっくに早起きして庭でハーブをとって夜のごはんつくりだして、わたしは同じ姿勢でパソコンの前にいて「......うん?」と言ったときには、もうごはんできててアスカは出かけて踊って、そのほか100個くらい用事して、パソコンの前のわたしが「......あれ?」だの言うその「あ」と「れ」の間に、もう帰って腹筋して次の100個をやってる。
前から薄々思ってたんだけどさ、アスカ。あたしアスカと一緒に暮らしたら、たぶん、アスカが見えないと思う。動きが早過ぎて。
や。見えないことにも気づかないか!
だいぶ前のことになってしまったけど、「罪と罰」三巻を読み終えた。
(ドストエフスキー・亀山郁夫訳・光文社文庫)
新訳確かに凄い、これは読める! とみなさんにお伝えしたく。いまさらですが。
読書に集中できるような日々ではなかった(いまも)のに読めた。
うっとうしい毎日に、陰鬱なる主人公ラスコーナントカ(三巻読んでまだ言えねー! そうそんなわたしでも読めるってことだ)と、本を開くたびに彷徨い続けるのはなかなか、気持ちが合ったともいえる。
とはいえ、読み出したときは、まず長いながい通りすがりの酔っ払いの愚痴を読むことに、なんだか可笑しくさえなってきて、その後、長いながい母親からの手紙がくるのにも笑っちゃったんだけど。
1巻読み終わった後は、2巻をきょうじゅうに買わなきゃと漫画の続きを読みたいみたいな気分で、本屋にいそいそ行ったものだった。
「物語」という「物語」であるようで、これはストーリーを追うより読むこと自体が、「体験」となる小説なのだな、と思った。おおっぱな言い方だがこれは同じように思う読者が多いのではないか。
そしてこの長さもきっと、時代には合っていたのだろうな。
新訳の良し悪しはわたしにはわかるはずもない。翻訳の恩恵に預かるだけなので。
訳者自ら宣言したとおりに「勢いで読める」、それだけで凄いことだと思う。
けど、読めはする文章であっても、一文が心に残るというようなことがないのが、読書としてちょっと、寂しい気がした。
原文で読めない限りは仕方がない。ほんと、外国語がひとつも理解出来ないというのは、ばかでやんなるが、ま、もうこれ、しょうがないからね。
さらばである、きみのことは忘れないよ、ラスコーナントカ!(おぼえろよ!)