小さく反撃。
ひとがなんらか体調が悪くなったときに、「歳のせいですかね」と言うのはよさないか。言えないけれど、そう思う、のもよさんか。よさんのか。ううむ。
そら歳は歳ですよ。1月には47歳ですよ。(あ、また書いちゃった。年齢を無意味に強調するのはやめてと同い年の女性に不評なのだった)治り方とか治し方とかにはそれは、若い生命力溢れるひとたちのようにはいかないだろうな、と思うからこその、いろいろあれですよ。
でも、歳、関係ない病気も歳のせいにするのはいかがなものか。
わたしのが「慢性じんましん」でなく、特殊に「加齢じんましん」なら謝るけどぉー(否、あやまらん! つーかそんなのないからね。だいじょうぶ?)
しかも女性に対してだけ、もうすぐ更年期とかもう更年期とか言われるのも、なんとなしに損したような気分になる。おなかが減ったような気分に。
思うに、更年期でなんらか具合が悪くなり、体調管理を自分でしながら、職場なんかで、ちょっとカリッとした日には「あらどうしたんでしょう、ああ更年期だからー」なんてこと言われたり言わないけれど内心強くそう思われたら、たまらんだろうな、ほんとに。
わたしもなるたけ穏便に迎えたい、とは思うが、そんなのどうなるかわからんわけで。
しかしなんかこの度は、「よっしゃ来ーい!」という気になってきた。
慢性じんましんに学んだ。
こうして人間、無駄な方向にはぐいぐい強くなっていく。
同い年のみんな! 負けずにいきまっしょう!! 年下の女性たちよ! 見せてやる、オレの背中を!!(あーあー)
ということを思ったからとは関係なく。(モドッテキタ)
筒井康隆「敵」(新潮文庫)を読んだ。老いについての小説である。独居爺のみちみちとした非・素敵な細かーい暮らしのあれこれが延々と続く。
匠の作家の掌の上で、それに呆れたり笑ったり眉をひそめたりころころ転がされていれば良いという、すばらしい小説。だが、わたしは中盤から前倒しにたまらなく切なくなってしまった。強く頷き過ぎて首も折れた。
これ、若いときに読んだらわかっただろうか。
へへー、わかるまい。と思ったり、いや、わたしはずいぶん前から、老いていたかもなー。と思ったりもする。子供の頃から、老人だったような気がする。
ようやく姿を現す「敵」は馴染みの顔をしている。