薬のおかげで赤い悩ましいヤツはほとんどおさまっているのだが、買い物でちょっと重たいものを持っただけで、結構な腕になる。なにかすると、というのだけでなく、突然、ひょいと出たりもする、それが顔だったりするとまた凹まされる。
一喜一憂しないようにせんとね。
しかしだるい、というか、重い、というか。
何事もゆっくりやるコツをつかみはじめる。料理の支度も早めにはじめて、合間に本を読んだりして休みやすみする。または、全部いちどに出そうとしないとか。
いや、おかしいだろ、ただでさえ何事ものろいのに、と思うと腹が立つので思わない。
このままいけば、のろさの達人になれるのではないか、という希望を抱くこと。ってなんだそりゃ。
さてさてお酒が飲めないので、やたらと甘いものを食べたくなる。甘いもののことを考えてるだけで、たのしくなるという、そこはもう、わたしじゃないみたい、別人のよう。
「小さいおうち」中島京子(文藝春秋)を読んだ。これ読みたかったんだ。直木賞、とかあまり興味ないのだが。受賞して売れている本なので、既に読んだ方も多いのでは。
この表紙、可愛い上に、内容にとって重要にもなっているというすばらしい表紙でした。
昭和初期の暮らしをまったり読みながらつまり油断していたら、すとんときれいに落とし穴に落ち、切なくなり、また後からあとからしゅんとさせられた。
この本の主人公はあるキュートな名前の女中さん、なのだが、わたしの父の生家にも女中さんがいたと聞いていた。その家は四国、香川県にある小さな街のたいそう「大きなおうち」だったそうで、当時としては珍しく洋館ふうに建てられており、窓辺にカナリアの鳥かごが吊るされていたとか、聞くとおもしろい。
ただし断片的にしか聞かないので、よくはわかっていない。
そんな立派なおうちがつぶれたのは、もちろん、我が父のせいである。
ま、あたしゃそういうところが好きだったのだ。
逃避読書のほかに、読まなきゃならない本もたくさんある。と言うとなにかえらそうだな、別にそれらも自主的に読みたい本であることはおんなじ。
積みあげた本を横目に、眠れるのはいいんだけどなー眠っちゃうからなー、んー!