午後から雨になるでしょう

ブログ

トマト肉じゃが

tomatonikujyaga.JPG

 

薬のおかげで赤い悩ましいヤツはほとんどおさまっているのだが、買い物でちょっと重たいものを持っただけで、結構な腕になる。なにかすると、というのだけでなく、突然、ひょいと出たりもする、それが顔だったりするとまた凹まされる。

一喜一憂しないようにせんとね。

しかしだるい、というか、重い、というか。

何事もゆっくりやるコツをつかみはじめる。料理の支度も早めにはじめて、合間に本を読んだりして休みやすみする。または、全部いちどに出そうとしないとか。

いや、おかしいだろ、ただでさえ何事ものろいのに、と思うと腹が立つので思わない。

このままいけば、のろさの達人になれるのではないか、という希望を抱くこと。ってなんだそりゃ。

さてさてお酒が飲めないので、やたらと甘いものを食べたくなる。甘いもののことを考えてるだけで、たのしくなるという、そこはもう、わたしじゃないみたい、別人のよう。

 

「小さいおうち」中島京子(文藝春秋)を読んだ。これ読みたかったんだ。直木賞、とかあまり興味ないのだが。受賞して売れている本なので、既に読んだ方も多いのでは。

この表紙、可愛い上に、内容にとって重要にもなっているというすばらしい表紙でした。

昭和初期の暮らしをまったり読みながらつまり油断していたら、すとんときれいに落とし穴に落ち、切なくなり、また後からあとからしゅんとさせられた。

 

この本の主人公はあるキュートな名前の女中さん、なのだが、わたしの父の生家にも女中さんがいたと聞いていた。その家は四国、香川県にある小さな街のたいそう「大きなおうち」だったそうで、当時としては珍しく洋館ふうに建てられており、窓辺にカナリアの鳥かごが吊るされていたとか、聞くとおもしろい。

ただし断片的にしか聞かないので、よくはわかっていない。

そんな立派なおうちがつぶれたのは、もちろん、我が父のせいである。

ま、あたしゃそういうところが好きだったのだ。

 

逃避読書のほかに、読まなきゃならない本もたくさんある。と言うとなにかえらそうだな、別にそれらも自主的に読みたい本であることはおんなじ。

積みあげた本を横目に、眠れるのはいいんだけどなー眠っちゃうからなー、んー!

 


吉永亜矢 (2010年10月16日 13:13)  カテゴリ:
<< 前の記事へ  |  次の記事へ >>

最近のブログ記事

アーカイブ