吉永です、どうも! 稽古後に飲みに行くのは、劇作り中のわたしのたのしみなんだけど、今回は飲み屋に入ってもミーティングミーティングで、話し合うことはたくさんあり、あまり飲んだ気にならない。酔っぱらわない。
でも、先日てきとーに入ったアヤシゲな居酒屋が、魚がウマイと言うのだがますますアヤシイと思ったら確かにウマイ。それにお店のひとが次々日本酒を選んでくれるので、なんかようやくちょっと、たのしくなった。
その店の箸袋、ひとつずつ違うコトバが書いてあるのだが、わたしの席にはこれがあり「さいこーじゃないすか」とカナザー先輩(稽古場日記連載中の!)に相変わらず「無表情にクールにほっこり」(なかなか味わい深い感情表現の持ち主なのである)言われた。うむ...お守りにするよ...。
あたしは天才演出家じゃないから、ともかくぶつかっていくしかない。
きみたちも天才役者じゃない、たぶんだけど、だからともかくぶつかってこいと言う。
あたしは天才じゃないから、できるだけおもしろいアイディアを出そうとはする。
ひととはおもしろがれたらそれをやるし、おもしろくなかったらやれと言われても、やれないもんだと思うから。
みんなも天才じゃないけど、自由に、どんどんアイディアを出してくれと言っている。
そうやって、みんなでひとつずつ、ばかみたいに、稽古場で何回も繰り返し、つくって壊して、つくっていってる。
台本に書かれているのは空想の世界で、それをなんにもない舞台で役者たちが表現する。
そんなの子供なのに無理って、思う?
確かに若手というのはひとつずつ、いちいち芝居が出来ないね。演出家が天才ならいいけど、そうじゃないんだから、魔法のようにうまくはできないよ。(でもそれはきっと、天才演出家でも同じ)
自分たちの頭で考えて、心で感じて、身体で動いてこそ、やっと「表現」になるんじゃないかって、わたしは考えた。
空想の世界という舞台を選んだのはそういう理由だけども、稽古場でやればやるほど、別にこれはふつうだな、ふつうのこと、これをしないで劇をつくる方法なんかないじゃん、と強く思うようになった。
稽古場では子供若手たちが、「自分ジブリー」と笑っていた。そう、たとえばジブリのアニメなら、五千倍か五万倍の情報量やスピードがある。ちっさな人間の五体でそういうのを表現することはまさかできない。
でもひとりずつがめちゃめちゃ力を使ってそこに立っていること。
それにはものすごいパワーがある。
それはおもしろいこと? おもしろくないこと? わたしはおもしろいに賭けるよ。