父は食べることが好きだったので、食べものにまつわる思い出はいろいろあるのに、なぜか湯どうふでいつも父を思い出す。
彼はその世代のひとには珍しく、洒落た洋風の食べものが好きで、オリーブだとかクレソンだとかガーリックの入ったチーズ(ブルサンですね)だとか、
そういうものをわたしが好きなのはみな父譲りである。
で、夏だろうと冬だろうとビールはバスペールエールを常温でちびちび飲むのだ。わたしがいればそれを一緒に飲みたがるのだけど、わたしはどうしたってビールは冷えてるのが良かったので(若かったのだね)、これだけは譲り受けなかった、というか、譲れなかった。時々バーなんかでバスペールのあの赤い三角をみかけると、泣ける、実際は、微笑んでしまう。
はてさて、それで湯どうふ、で、思い出すのはどうしてだろうか。
晩年といっていいか、歳をとってからの父は確かに湯どうふも好きだったけれど。なにか特別、思い出があるわけじゃない。
それに湯どうふは冬によく作るから、そのたんび、こんなふうにもやりと湯気の合間に思い出すというのもなんだか妙な。
ということをボンヤリ考えていたら、失敗して鍋を沸騰させてしまった。
湯どうふは当然ながら、とうふを入れたら沸騰させちゃだめですね。温まるくらいでいいのです。
水菜を入れるのも好き。
でもあまり中身がいろいろないほうがいい、湯どうふはシンプルなのがいい。
失敗はしたけど、おいしくいただきました。