写真は「オドル」(作/藤岡豊)から。(写真をクリックすると大きく見られます)
ゲネのときの写真なので、優芽ちゃんは衣装じゃなかったんだね、残念。
(*以下、本日も敬称略にて失礼します)
この本はたぶん読むと、「...え、なあに?」っていう本だ。
と、これでも遠慮がちにそう書いておく。
しかしわたしは「ふむふむ」と読んだ。
藤岡豊とは、四年前のシエラザードに出演してもらって以来の飲み友達であり、藤岡豊はそれ以降、時々、文を書いてはわたしに送りつけ、わたしに全力で読み込むように命令してきた。
なぜ。だがその不条理に巻き込まれてきた甲斐があったというものだ。
わたしはいっぱし、藤岡豊ワールドの理解者、いや、立派な一ファンとなっていたのである。
で、ただでさえ、わけのわからない本に、わたしは紙テープを持ち込んでみた。
紙テープの前に、紙吹雪(色水を色紙で表現する)があった。
水を巻くというのは小さな舞台では、かなり無理が出てくる。
執筆中の藤岡から相談のメールがきて、幾つかの方法を提案し、「紙」にしてみるのはどうかという案に彼がのってくれた形だった。
上がった本を読んだときに、更に、紙テープを使う絵が浮かんだ。
二人で端と端を持ってピンと張り詰めた紙テープ、とか、ぐるぐる巻きになるとか、千切るとか...。
と、稽古に入る前に伊藤浩樹に酒を飲みながら話したら、
伊藤浩樹は目を黒~~~くしてわたしをみつめ、
「いいんじゃないすかね。千切ったりすると、女の子の持つ残酷さも出て」
と呟き、よくわかんないけどなんかすげえイトウヒロキ、とよく思うことをまた思った。
けど、演者である明日香がいなくては実現できなかった案だ。
楽そうにくるくる紙テープを操りながら動き、喋っていたが、試しにあなた、やってみてほしい。(やらなくていい)
わたしも、白リボンを持って稽古場を走り廻った(え!? ええはい45歳ですがなにか)が、はあはあ、ぜいぜいだった。くるくる回るのは1回でもう無理で、吐きそうになった。
板倉美穂はすごかった。さすが彼女はダンサーでもある。
ただ身体能力が優れているだけでなく、彼女には相当、抽象的なことを言いっぱなしにしてきた。
わざとそうしたわけではない、美穂がわたしが言いかけたことを、すぐ理解してくれたので、砕いた言葉で説明する必要がなかったのだ。
さて本番を観て、「紙テープが、関係性なんですね」と言葉にしてくれたのは、記録用のビデオ撮影をしてくれたドンちゃんだけだったので、うれしかった。
けどもちろんそこも、言葉にしてもらうためでなく、なにかを感じとっていただくためのことだ。
出演者最年少である小学生の中村優芽にはものすごく難しい役を演じてもらった。
作家藤岡には「いかにも子役という役を出すのは嫌い、きみなら違うものが書ける」と口説いてはみたが、読んだら、子供でさえないんだもんな! すごいよなあ藤岡豊も。
優芽には蔦美代子振付による(曲はピアソラで!)ダンスも猛練習してもらった。
でも、もっと苦労してもらったのは平山寛人だっただろう。平山寛人の演じる「ヒキガエル」の台詞と寛人自作のオドリに、わたしは稽古場でいちいち、泣いた。
「なんだ...世の中まだ御伽噺じゃねえか......ってな」
という台詞が、本作のなかで、わたしはいちばん好きだったのだが、それもヒキガエルの台詞だ。
藤岡豊の本も、宮下隼一の本とある意味同じように、わけわからないようで、理屈でできているところがある。ただし、藤岡豊の本のほうが、その理屈があまり全面に出てくると、おもしろみ(複雑味)を失ってしまう恐れがあるように、わたしは思う。
本は何度もの話し合いで手を入れてもらった。彼は粘り強く応えてくれ、ずいぶん深く話すことになった。わたしにとってそれは、とてもいい経験だった。
この「オドル」がいちばん好きだったというお客さんはみんな、職業問わず、
「アーティスト」なのじゃないかな。
(ちなみにスタッフ内でもこれが評判良く、わたし含めほかの三人の作家は頭を寄せ合い、
ヒソヒソした)
稽古も観てくれた桃ちゃんが、「長新太の絵本みたい」と言ってくれていたけど、
大人と子供のための「飛び出す絵本」みたいな作品を、藤岡豊ならたくさん生み出せるのじゃないかと、これからに期待しながら、ヒソヒソすることにしよう。