久しぶりのミホ&アスカ。元気でーす!
きのう世田谷区のダンスフェスへ。
美代子先生からIVYの子供たちが出演すると教えていただいて観に行ってきた。
中町ふれあいホールはお客さん満員で盛り上がっていた。たくさんのチームの出演でIVYチームも10分間の出演だったが、やっぱり、ほかとはぜんぜん違う。ダンスの技術だけじゃなくて、パワーがすごい。これだよなあ、と感激してちょっと涙ぐんでしまった。
久しぶりにミホにも会えるし、サポートの仕事で明日香もいるというし、ヒロキ(若)は出演していないが、わたしが来るなら会いに来ると言っている、というので、ずいぶん前からたのしみにしていたのだ。
しかし、だ。ヒロキは寝坊したとか言って、来なかった。
そういうやつである。
むかついたので、ヒロキ(太)と書いてやる。
子供らはもうゴゴアメのことなんか忘れて、ゴゴアメ? ココアメ? なんだっけ?! ってなものなのだ。明日へ向かって爆走だ。サミシイ!
おばあちゃんちゃみちいーーって荒井爺相手にわめきながら、呑むのむ。
どうだウザイだろう。油断するなよミホ、わたしはまたくる!
いつもの朝ごはん。貝割れがのってるのは白菜炒め(炒めるとき黒酢をちょっと入れる)。
白菜、甘くおいしくなってきましたねえ。
きのうの夜はタキ、高木くん とドンちゃん と焼肉!! だったので焼肉写真または、カルビを食らうタカギノボル&ドンチャン、という素敵な写真を、ぜひ、ここに載せようと思っていたのだが。
わたしはものすごく久しぶりに焼肉!! で、食べるのと喋るので夢中ですっかり写真撮るのを忘れた。(まー一枚撮ったのだが、ノボル&ドンチャンに、これを載せるのはよせ。と止められたのだった。素敵過ぎるからか)
そもそもなぜ焼肉だったかというと、ゴゴアメ公演のパンフレットの写真と、公演記録DVDを撮影してくれたドンちゃんに御礼を、と。
ほんとうに涙が出るほど安い金額で引き受けてくださり...せめて焼肉を~って、これあんまり書かないほうがいいね、逆営業だもんね、スイマセン。
ということでドンちゃん地元(タカギノボルの地元でもある)行きつけの焼肉屋さんまで遠征してきたのだ。ということでって、なんでわたしとタキも焼肉食べて、にこにこ飲んでるのか。
で、ドンちゃん(は、お酒飲まない。コーラで焼肉!!)の車で送ってもらってしまった。
ちっとも御礼になってないじゃん。更にお世話になってるじゃん!
そして当然のように、ドンちゃんにも突撃・カメラのことをいろいろ聞く。
ドンちゃんはコンデジのほうがムズカシイって言う、うひひ、確かに言えてる面もあるよな。
ドンちゃん所有の一眼も、二つも、触らせてもらった。ドンちゃんキャノン派だった! うーん!
カメラはぜったい、いいカメラ買ったほうがいい。とドンちゃんは真実を言う。
いま、カメラのことをネットで読んだり、師たちに尋ねたりしてるとひとつひとつわかってきた気がして、でもわかんないことがあって、そういうのがたのしいんだけど、ところで、なんせ、わたしだからねえ! どうせヘンな写真撮るだけだからねえ~~。
なんというか、ですね、世の中の役に立つ技術と知恵を習得するひとたちはすばらしいと思い、情けない、わびしいジブンなのだ。
っていまさらか。いいのじゃ、ひとりたのしむのじゃ!
ムニエル、簡単なソースありもいいけど、レモンをぎゅっと絞るだけが、基本的には好き。
バターはうちでは、最後にほんのちょっとだけ。だからムニエルというか、蒸し焼きだね。
ところでブロッコリーの蒸し焼きっておいしいね。蒸しただけのとは別のおいしさがある。
そういえば昔、少しだけ編集プロダクション(苛烈に忙しい時代ね)のバイトをしていたことが
あって、そのときはフィルムの一眼を否応なく持たされたのだった。
取材と原稿だけでなく、写真も撮れということなんだけど、わたしで撮れるのか、すごく不安
だった。絞りは固定して、ピントだけ合わせりゃいい、と教えてもらったような。
フィルムだから撮れてるかどうか、見るまで心配だった。
(その点、デジタルは液晶画面見ながら撮れるから、ほんと、誰でも撮れる、ことは撮れる)
会社のカメラだけど、持ち歩けるのはたのしかった。遊びで撮る暇はなかったけど。
その前に、学生の頃は8ミリ小僧だったんだから、スチールとはそりゃまた違うけど、
あれだけカメラ持ち歩いていて・・・振り回しといて・・・
なんでいま、こんなにカメラのことがわからんのだろうなあ。
いやいや当時からわかってなかったけど。
力なしにはいつ、なったんだろうなあ。
いまや箸より重たいものは持てん。
もう一枚、紅葉。
こっちはケーブルカーに乗って行った上のとこ。
下りのケーブルカーは混んでいて乗るまで30分待ちと言っていた。
実際はもう少し早く乗れました。
みんな写真撮ってるけど、時々、一眼を持っているひとがいて、気になりちらちら見た。
小さな子を連れた若いパパ、ひとりでじっと狙ってるおじさん、あ、若い女の子も持ってるぞ!
・・・きょうは晴れてるからいいだろうなあ・・・
タキじいさんは部屋に篭り仕事、わたしゃ川に洗濯です。
紅葉を見に行こう、そしてそれはきょうしか行けない!
と、タキが言い、きのうあいにくの曇天のもと、高尾山へ。
これ(写真)は麓のほう。
曇り空の下の紅葉も、ぽわんとしていて、なかなかいいなと思う。
そば粉のおやき(野沢菜入り)を食す。
ケーブルカーに乗って乗客一同と一緒に「わあ」「わあ」言いながら上へ。
ゴマ団子を食す。神社まで歩く。たのしい。
時々雨がぱらつく。そんな天気だけどたくさんのひとがいる。
これじゃ休日で晴れの日なんて、ものすごいことになってるんだろうな。
山頂まで行かなかったけど、こんどは行きたい。
で、ケーブルカーに乗って降りて、蕎麦と熱燗「高尾山」(という地酒)。
けっきょくもちろん、飲む。
茄子ミートスパゲティ(タキ作)。
全オートでも撮って見比べたのだけど、やっぱり設定をいじったこっちのほうがいい。
本能のほうね・・・
きのう「借りぐらし」のひとたちのことを書いたけれど、子供の頃、いちばん繰り返し読んだ、
百万回読んだのは「鏡の国のアリス」だ。
あのちょっと不気味なイラストのやつで、でももう同じ装丁の本は出ていないんだな、と思っていた。時々、思いついて本屋で探してもみかけたことがなかったので。
でもいまネットで調べたら(なんでもネットだよねえ)、ちゃんとまだ出ていたのね。
思わず買ってしまった。福音館から出ている本です。
ちょっと不気味な、どこか暗い感じのイラストはほかにもわたしの子供時代、
いろいろあって、わたしはあの感じに慣れているというか、こころの奥が染まっているのだ。
ムーミンシリーズもそう。
ムーミンシリーズは最近、講談社青い鳥文庫で時々、1冊ずつ買ってたのしんでいる。
孤独と自由を愛することについて書かれていて、そういう童話ってあまりない。
大人になって読んでもそこがしみじみといいし、子供の頃、これを読んでいてよかったなあと思う。
初マクロ撮影だ! 近所のケーキ屋さんのケーキ。うん、きれいに撮れるねえ。
すでにこいつ(カメラね)がいとおしくなってきたから、名前でもつけるか!
IXY930ISだから・・・930だから・・・
クミオ・・・
ちがう・・・いい、名前、よす。
ところで突然だが、あなたは「借り暮らしのひと」をご存知だろうか。
いないよなあ。「借り暮らし」この言葉で「おお!」ってなってくれるひとは。
いたらいいのになあ、どこかに。
子供の頃、何度も読んだ童話のひとつ。
「床下の小人たち」(作メアリー・ノートン)のシリーズなのだが。
本のイラストを見ているだけで、ぐぐっとお話の世界を思い出す。
このハサミのかたっぽだけの刃とか、部屋の壁紙がハガキであることとか。
人間の暮らしのなかから、「借りて」暮らしている小人たちなのだ。
借りてるんだよ。盗んでるんじゃないのよ。ここが大事なの。
「借り暮らしのひと」は気位が高いのです。
どうやって「借り」に行くかも、ここにはすごくおもしろく書いてある。
マクロ撮ったから、そんなこと考えてるのかな。
家のなかの、ごく小さなもので、なんでなくなったか意味不明なものって、ありませんか。
よくそういうなくしものがあるとしたら、あなたはラッキー。
あなたの家には借り暮らしのひとが棲んでいるのだ。
いちおう、ボジョレー飲んでおくか~~! の巻き。
うん、やっぱりボジョレーには鍋だね!(そうか? おうとも!)
けどウチではボジョレーはジュースみたいと評判が悪いので、甘さや酸味が少なく
しっかりした味のを選んだ。もっとボジョレーっぽさを味わうのには別のがいいかな、きっと。
本日の鍋はごくシンプル。でも豚バラはいちど湯通し。あと、出汁はいつもはとるか、
または昆布をそのまま入れたりしてるけど、今回は手抜きで、市販のちょっといい出汁を
使いました。味が決まってるので、ポン酢はほんのちょっと。
決め手はなんにせよ、ゆずです。ゆずは、いろんな鍋に!(みそ汁にも入れたりする)
さて料理の写真だよ。
前よりちょっと、美味しそうに撮りたいところで、この写真もいろいろやってみてます、が...。
料理の写真ってのは、いままでもそうだけど、おなか空いて早く食べたいのと、
冷めないうちにというので、ともかく焦る。
ウチの部屋の明かりの問題もあり、なかなか。(フラッシュは前から使ってません。
前より暗くてもめちゃめっちゃ撮れるのはうれしい)
色はきのう書いた、コントラストと色味を抑えたのが気に入ったのだけど、食べ物は違うよな、
と、「くっきり」カラーのほうにしてます。
ひとつ同じ設定を決めたら早い、と思ってるんだけど、もう少し検討だな。
それか料理は全オートにするか。とにかく早く食べたいもんね。
色味を変えられるので、これは濃さと色味を抑えるほうにした。
この色合い気に入った。
暗いけど、ISOは100に下げた。
あ、また、どうしてそんなことしたの、って聞かないでね。
それはー、本能のおもむくままに、ってことよ。
きのう、来月頭の個展に向けて鋭意製作中のホソノデザインへお邪魔!!
「午後から雨になるでしょう」公演のあの、素敵なチラシやパンフレットを(そしてこのブログも)デザインしてくれたのが、彼です。お礼という名目で、恵比寿にあるめちゃくちゃお洒落な事務所へうかがい、いままさに作品を生み出し苦しみ中のホソノケンに突撃。
やー、なんかすごいことになってる。これは、すごいわ!
背後に映ってるのが製作中の作品たち。このブログが本邦初(チラリ)公開よっ!
前回の個展(今回と同じく渋谷ルデコ)は「ポスター展」でデジタル作品だったのですが、今回は「アナログ」だそうで、よりアートな感じ、これはたのしみ!
コーヒーなど出していただき、しばしお喋り。
ふふー、あれだ、ひとが苦しんでるとこってのはー、実にっ、いーもんですねー!
どうよどうよ、と聞くとホソノデザインは、「昼間はまだ割と機嫌がいいんだけどねー。
夜になるにつれ、機嫌悪くなるね」 そうでしょうそうでしょう。
「...ほんと...辛くて嫌なんだけどね」 そうでしょうそうでしょう、でもっ、
誰にも頼まれてないからねっ! 「そーなんだよねー(遠い目)」
「まーきっとこの辛くて嫌なのが、たのしいんだろうな、と、きっと」
うははははは! ガンバレ、ホソノデザイン!
えーホソノ祭りのご案内です、みなみなさまご注目っ!
12月1日(火)~6日(日)渋谷のギャラリー・ルデコ2階にて。
*11時~19時。最終日は17時まで。 *1日(火)19時~はオープニングパーティあり。
無料ですし、ふらりとでもお立ち寄りになってみてはいかがでしょう。
作家はたぶん期間中、ほぼ会場にいらっしゃるかと思われます。
で、買ったばかりのデジカメを嬉々として向けるわたしに、ホソノ氏は、
「ああいいの買いましたね」と淡々と言う。
「一眼? 要りませんね、それで充分です」 一眼は重いから、持ち歩かなくなるという。
「だってこれ、居酒屋とかで出せますか?」とホソノ氏所有のキャノン・一眼を見せてくれた。
うわーい。と持ってみる。うん確かに、重いのよね。
でも、あたちは一眼買うの!
そして老後(来年からくらい)のたのしみにするのじゃ~~!
「おばあちゃんまず、これ、肩から下げられますかねえ......」
ホソノデザインは力なしのわたしをみやり、「要りませんね」とまた告げるのだった。
ええいっ買うのじゃったら!
モノクロでも撮れるのね。(モノクロに一色だけ色を残すこともできる)
だからどう。ってことだけど、あればやはり撮ってみる。どうですか。
「ほんとだーモノクロだー」
...ですね、はい、このブログを読んでいるみなさんはやさしい!
あと露出補正をいじってほんの少しオーバーにしてます。
なんでそんなことしたの、って聞かないでね。
そこかよ、と言われるかと思うけど、
キャノンIXY930ISにした決め手は、タッチパネルでピントが合わせられる(液晶画面でピントを合わせたいとこに触れる)のがわたしにはとてもおもしろかった。
コンデジならコンデジならではのたのしさがあるといいな、と思って。
ところでタッチパネルはお店のひとが言うには、全部の操作がタッチパネルだと逆にやりにくいけど、一部操作できるのはなかなかいいって。そう思う。
どこのメーカーでもいまは、顔認識で追尾というのがけっこうついてるみたいですが、これ、子供がいて運動会で撮るときなんかは良いだろうけど、そうじゃないなら、まったく要らない機能だよね。
あとすごいズームとかもわたしにはまったく要らないし。
とにかくいろいろ機能が多過ぎるよね。
それより、画質がいいほうがいいと思って、富士フィルム社製品とで迷った。
(ニコンはやっぱり一眼だなー)
でもなにせいままでのカメラはすべてオートでしか撮れなかったのだから、そこはがぜん違う。
たいていいつも室内でフラッシュなしで撮るので、もっと暗いとこに強いカメラのほうがよかったかなと心配したけど、これもいままでとはぜんぜん、違った、よく撮れる。
より手振れしないとか、画素数なんかあまりすごくても関係ないそうで、そんな売りに惑わされないほうがいいっていう知恵はつけてたあたちですが、その前に液晶画面が大きくきれいなのに感激しちゃった。写真撮る以前の問題で。ひゃひゃ。
撮影機能以外でのことで、いまのとこひとつだけ不満。
このカメラの、パソコンと繋ぐケーブル用の蓋がえっらく、とれちゃいそうなやつなのだ。
これ、なんでこんななのかな?!
たまにまとめてパソコンに取り込むというのならいいのだろうけど、しょっちゅう使うのに、
これちょっとこわいよう。
...というわけで、すっかり頭が良くなったわたしは電機屋へとついに出かけた。
ところが、店に到着するなり、わたしはまたもとどおり、頭が悪くなりました、とさ。めでたし。
いやあ、売り場に着いて思ったことは、「これはケータイだな! うん! ケータイだ!」
色といい、みんながどしどし買っていくことといい......。(金持ちだなみんな)
でさ、携帯もデジカメもだよ、あれは各社、本気でわかりやすく簡単にしてるのか、わかりやすく簡単にするためにかえってわかりにくくしてないか? わざとやってないか?! なあ教えてくれ。
と心から思いましたが、まあその前に。
わたしは心を決めていたのでした。
・あたちは一眼デジカメを買うことにした。
・それには心の準備が要る。一眼買うならもっと詳しく知ってからにしたい。
それにお金だ。少なくとも年内はやめよう、餅が買えなくなるからである。
・しかしいま現在カメラが壊れてしまってないわけで、すぐにも欲しいところだ。
だからまず、コンデジ(覚えたての略称を使う)を買おう。
・コンデジどれがいいかは迷う。百、三通のメールの教えもいただいたし、
価格コム、あれは読めば読むほど迷う。
・戻って、あたちには一眼への道がある。今回はともかく安いのを買おう。
それと見た目、気にいったのをゲットしてやろう。
(見た目は意外と大事であると、ひとりの師に教わった。わたしの理解でいうと、見た目気に入ってればしょっちゅう使って、使いこなせるようになるということだ。
見た目気に入らないと、せっかく買っても仕舞い込んだりしがちだよね)
で、キャノンIXYシリーズで1万円台で買えるのがあり、「もうこれ、決まりね。これで決まり」と
わたしの隣で男の子がケータイに(たぶん彼女に)告げるのと同時に同じくそう考えた。
しかしその隣のプラス1万円の機種のほうが、秋に出たばかりだというのにぐっと安くなってるというのと、操作性がいいと言うのが気になるわけですよ。
ん、これ、ありがちな展開してるよね。
もしキャノンの1万円台の機種がなければ、他社のにするのでは(同じお金出すならいろいろ選択肢がある)、と自分に問いながら売り場を巡ってみるものの......、どうしても戻ってきてしまう。
はいっ、二百、三人のどなたもおすすめしてはいなかった、
キャノンIXY930ISを買っちゃいました~~~スミマセン! うひゃひゃひゃ。
でもこれが、実はいちばん、見た目(と手触り)が気に入ったのもあった。
色はどれにしても飽きそうなので、シルバーにしました。
いやあ、店を出てからこれで良かったのか......、餅はだいじょうぶか、
とぼーーっとしながら一服して、ぼーーっとしながら駅と反対方向へ歩いちゃったもんね。
さて実際、どうよと言われると、まだあまりいじれていないのですが、
既に喋りたいことはいっぱいあり、そこを押さえて、おいおい書いていこうかと。
とにかく、あたちなんかにはどれでも良かったのね、というぐらい、以前のカメラとは「隔世の感あり」というやつですね。なにか肩を落としちゃうくらい。ぼろくても長く親しんだ機械が好きなわたしとしては、少しかなしい。
でもやっぱり新品は気持ちがいいね、慣れるまで時間かかりそうだけどとうぶん、いろいろ遊べそうです。
きょうの写真は試し撮りの第一弾。まずはふつうにオートで。
ピントがなんかいまいち、どこ? なのは、わたしの問題です。IXY930ISのせいじゃない。
構図が、とか言わないでよ。
これは、後ろがどのくらいボケてるかに気をとられてるわけですね(可笑しい!)
前に撮った写真から一枚。(つまり壊れたコニカミノルタね)
とっても気に入っていたお皿が割れてしまって、かなしく、でも、
欠けた皿を愛でる、の図。
このお皿は「才津空歩」さんという作家さんのもの。(空を歩くなんていい名前ですね)
おでんを盛るとよく似合っていて、これからの季節にがんがん使いたかったのになあ。
さて、みなさん!!
「わたしのおすすめデジカメ」係から厚く御礼を!
思いがけず大反響でして、百、三通ものメールをいただきました。
え、なんですか? もう一回いきますか? はい、にひゃく、三通です。
「一通もメール来ないかもな・・・」と思っておりましたので、
ものすごくうれしく、ありがたく読ませていただきました。ええもう三千、三通でしたからはい?。
プロの方からもアドバイスいただきまして、実に恐縮!
そしてみなさん、わたしのあんな文章から実に的確、かつ、わかりやすくいろいろ教えてくださり、
なんてすごいんでしょうと感心、おかげでわたしもすっかり頭が良くなりました!
あの、手前にピントがあって後ろがボケてっていうところなんかですね、
自分が可笑しくって笑っちゃいますが(いまはもう頭がいいからですね)、
まじめに教えていただきました。
ほんとめちゃめちゃ、うれしかったです。
そしていま、どれにしようか、どうしようか、うれしく悩んでいます。
ああこれほんと悩ましいんだよなあ。どうちようどうちよう。
買ったらすぐにご報告いたします! ほんとうにありがとう!
しかしこの「相談メール募集」が意外にもおもしろくためになり、たのしかったため、
調子にのってなんかもう、なんでも相談しちゃいそうになります。人生相談までしそう。
「わたしはどう生きたらいいでしょう係」とかね。
まあ、年末前に、なにかひとつ企画して、みなさんにご質問を直撃しようと思いましたので、
今後ともこのブログ、読んだり読まなかったり、してくださいますよう。
どうぞよろしくお願いしますです!
ところできのう土曜日は小学校の同窓会でした、いやあすごいよねえ。
だって50人くらいもの45、6歳のオジオバが大集合だよ。
でもあたたかい空気でたのしく過ごさせてもらいました。あれをやるのはほんとに偉業だと思う、
同窓会幹事のみなさま、たいへんお疲れさまでした!
で、ポトフを作ったあと、そうかクリームシチューか、と気づいたのだった。
壊れた我がいとしののデジカメは、コニカミノルタの「ディマージュX50」でした。
コニカミノルタはもうデジカメ作っていないのね!
と、壊れてからはじめて知った。
それで修理にもお金以外にもちょっと手間もかかるというわけです。
あたらしく買うなら今度はカメラのメーカーがいいなとは思っていた。
ここで、ちょっと聞いてみようと思いたちました。
みなさん、おすすめのデジカメありますか。
デジカメいまは機能がすごく上がっていて、ムービーも簡単に撮れるらしいし(前のも撮れたけどね)それもかなり惹かれているのだけど、まずは高くないのがほしい。十万とかするのはダメ!
これまでどおり、いつでも持ち歩けてばしゃばしゃ撮れる相棒がほしいのです。
壊れないこと。機能が多すぎないこと。(わたしはメカ愛・メカ音痴両方なのだ)
近づいてもピントが合いやすいのがいいな。
あとフラッシュをあまり使わないので、暗めのところにも強く、手ぶれがあまりしないといいな。
(手ぶれもたのしいのだけど)
料理の写真は撮るとき、手前と奥のピントがなんとなく均一になるより、奥がボケてるほうが
ほんとはいいのにな、といつも思う。
んーっていうか、それは電機屋に行った方が早いよ、と言われるのはわかってるけど、
どなたかおすすめあれば、教えてくださいませ!
gogo.ame@gmail.com 「わたしのおすすめデジカメ係」まで。
いろいろ手間をかけた料理は無理。
ほとんどなにもせず、勝手に美味しく出来上がってくれる料理は...、というと、
ポトフだね! と気づいたわたし。
鍋に放り込むだけだし、くたびれてる胃にもいいし、温まるしね。
でもそんな簡単ポトフでもポトフってなんか、それなりに時間や気持ちに余裕あるときじゃないと、
作る気にならない、と思いませんか?
で、「よいしょ」と作ったものの。このお皿使うなら、このクロスたちは違ったね...、
柄がぶつかってるよ?。
見えてないよ?。
という、まだまだリハビリ期間中の写真からでした。
ところでこの間、デジカメが壊れてしまったのだ。
まあずいぶん前に買ったもので、その後、どんどんあたらしくいいのが出てるようだし、
このブログをはじめてから、あたらしいのが欲しいなとは思っていた。
けど、あまりにも使ってたやつだから、愛着があって。
(わたしは、携帯電話もパソコンも買い換えたくないのだ。なるべく長くながく、使いたいのだ)
画面が真っ白くなっちゃって(調べたらそういう壊れ方があるみたい)、ショック。
修理すると最低1万円はかかるらしい。
まあこうして、これまで撮った写真は無事であったのでよかったのだけど。
あたらしくデジカメを買いに行こうと思うのだがいまのところ、なんだかんだで、行けてない。
お金もないしねえ!
きれいだねえ。
公演にいただいたお花、持ち帰ってしばらくきれいに咲いていた。
そういえば、公演終了後は金木犀の香りがしていて、窓を開けてると一日じゅう家のなかにふわふわと漂っていたな。
うちはこの季節はいつもこうだったなと思い出した。
あれはなんか、記憶を呼び覚ますような、なにか予感がするような、不思議な匂いだ。
それがすぐに消えてしまって、なんか寂しかったなあ。
一ヵ月半くらいの稽古中は、朝ごはんだけはシッカリ食べてた(あれでもってたようなもんだ)
けど、昼間はコンビニのおにぎりやサンドイッチ(飽きる)、夜は飲み屋のつまみで、めちゃくちゃな
食生活だった。
さあ終わった料理しようと思っても、なにを作ったらいいかも浮かばない。
でもなんだかしょっちゅうおなかが空き、結局しばらく、まだヘンなもの食べてたな。
ものすごく食べてるのに体重が増えず、びっくりした。(もう戻りました)
よっと。ふう久々。
「酒と肴」こっちのブログたのしみにしてくれてる、わずかな人たち(1人か2人)、うぃーす!
(公演についての雑記は終了「ゴゴアメ・メンバー」を)
浩樹と広希のWヒロキにやられっぱなしのわたしだが、素敵なお酒をいただいた。
じゃん! この「飛露喜」。
これ、すっきして雑味のない、とっても好きなお酒なのである。(なかなか売ってない)
しかも、特撰純吟だよ!!
さらにこれは、今回、非常に激しくお世話になった、IVYさんの事務所の方々から
公演のお祝いに、と劇場にていただいたのだった。うえーんスミマセンゴメンナサイ。
これはもう、「真摯に心をこめて」(「オドル」の台詞より)頂かなくては、と、
公演終了後、すっかり料理を忘れきっていたわたしはしかしこれをいただくからには、
それなりの肴がなくては、と、精一杯「銀鱈西京焼き」を焼いてみました。
(うーんやはり頭も手も回ってない...今後どうなるのか続く)
で、つまりこれ、公演終了直後の写真ね。お酒はもうありませーん。
ほんとうにほんとうに美味しかったです(涙)
ありがとうございました、IVY事務所のみなさま!!
あのー、もし、ですね、今後、IVYのダンス生徒さんのなかに、あたらしく、
「ヒロキ」という名のお子さんが入られましたら、ですね、それがまだちっさな、
3歳やら5歳やらだとしても、ですね、どうかわたしまでご一報ください。
とりあえず、もう、まず、自己紹介しておきます。はい。
さて広希はきょうもIVYのダンススタジオで踊っているだろう。
浩樹だが・・・
大人の役者たちとはこの間、なんだかんだメールなどでやりとりがあるものだが、
浩樹からはなく、どうしてるかなあ、どうしてるってまあきょうも掃除している、
とは思いながらも、そろそろ紙飛行機でも飛ばしてみるか、と思っていたところ。
きのう、浩樹から、紙飛行機が飛んできた。絵が描かれていた。
おお、絵もすげえ。なんかともかくすげえさすがイトウヒロキ。
届いたよ。
写真は「Fool On The Roof」(作/宮下隼一)から。
毎日、ブログに長文を書いていて大丈夫なのか? と心配してくれる方が、もしもいたらば、
ありがとう。公演終了後約2週間ブログをお休みしている間に、ぼちぼちメモしていたものを
まとめながら、アップしています。
眠っても眠っても眠いなか、主に仕事、あとはチマチマ公演の残務処理をしたりの日々で、正直、まだ疲れが抜けてません。
誰かに頼まれたわけではなく、自分で書きたくて書きはじめたこの雑記ですが、これがなかなかの地獄でした。
やっぱりこういうことは、飲み屋で誰か心おきない相手に話すのならたのしいけどねえ。
書いているとだんだん、「どっちの料理ショー」で「負けたシェフ」が自分の料理を食べている感じ
になってくるんだもん。「いやいや...おいしいんだけどなあこれ、ほんとオイシイ」って言いながら。
ってたとえがわかりにくいよ! と言われるかと思うけど、本気でこれが自分の気持ちにピッタリ
なんだよ。こうとしか言えない。
「どっちの料理ショーの負けたシェフ」です。
けど、おつきあいして読んでいただいた方々、ありがとうございました。
わたしたちの小さな公演に、厚くご関心をいただいたことに感謝を。
最後に公演の主旨というのとは関係なく、わたしがおもしろいなと感じたことを。
今回は、わたしにとって、ほかに三人もの作家と書くという初の試みでしたが、
四短編の舞台設定「屋上」以外にも、もっと内容またはテーマで共通点を作ったほうが、おもしろかったのでは、というご意見もあったようです。
出来上がった作品には、共通点が「屋上」以外にもないわけではないのだけど、わたしは本の上で、明らかに同じ素材やテーマを扱うのはつまらないなと思っていました。
そういうものはたぶん、ほかにもあるかと思うし、きれいに繋がり過ぎるよりも、ちょっとデコボコした手触り感があるものを作りたいと考えたのです。
と、まあこういう具合に「負けたシェフ」にまたなってきましたので、おいといて。
そんなわけで、本は縛りをあまり強くせずに書いてもらいました。
けれど上がってきた本には偶然、シンクロがあり、それには驚きました。
「かぶり」は気にしましたが、でも、こういう偶然は活かす方向でいきたいし、かぶりにはならないとも思えたので、実際それらについての直しはしなかった。
大きなところでは、藤岡豊の「オドル」は、小学生の優芽が演じるのが実は三十代の、夫を亡くした大人の女性ですが、わたしのほうは(「オドル」の一稿が上がったときはまだ本を書く前だったとはいえ)、藤倉みのりの役を、実はおばあさんとしようと考えていたので、かなりびっくりしました。
これは二作品共に、そのことが「落ち」にならなければいいと思い、また二本続けて観ていくうちになにか感じることが出てくればいいな、と考えました。
それと別に、ある意味、もっと大きなことかと思うことがありました。
大きいといっても先に書いたように、この公演の主旨やテーマというのとは別物です。
藤岡豊作の「オドル」は、明日香の演じた「先生ノ代理」という奇妙な立場、存在のあり方が作品の中心となっています。
が、宮下隼一作の「Fool~」も実は「代理」の話であるとわたしは思いました。
「私の言葉じゃないんだから」と言う「上からの女」は、神の代理であり、
「屋上の男」もまた神の代理に遣われている。
おもしろいのは「下からの男」も、「行政代執行(ちょっとインチキな)」という、仕事が「代理」です。
「代行業務」で言えば、わたしの作品の清掃員というのも、誰かの代わりに掃除をする、
ひとつの代行業務じゃないでしょうか。
その清掃員の「スナオ」は、藤倉みのりの演じる「照子」というおばあさんに、亡くなってしまった
彼女の夫の代わりに、「代理のプロポーズ」を誓います。
高木登作「悪意の研究」だけは違うじゃない、と思うかも知れないけど、こういうことを考えているとこの話もわたしには、共通して読める部分があるのです。
そもそもこの話のなかで、刑事は殺人犯そのひととは会話をしない。
犯人との殺意を探る会話よりも、作家が選んだのは、どこかに(そしてそれは我々のごく近くに)
潜む「悪意なるもの」を描こうとすること。
代理ではないが、これもまた直接の関係でなく、ひとつなにかを挟んだ関係性である。
「下からの男」が「屋上の男」と出会っていても、それはあくまで「代理」としてであり、
個人の人間性と相対しようとはしないことと、刑事が二人の女たちに言う台詞は似ている。
また、二人の女たちは、世の中の常識や偽善と、そうでないなにか、の「代理」として、
あの高校生の女の子に出会ったとも言えるのではないだろうか。
これはどうしたことでしょうか。
いろいろと考えるとおもしろいな、とわたしは思いました。
わたしを含め、これらについては作家たちに意識的なものではなく、感覚的なものだったようです。
となるとたまたまこの四人が漠然と同じことを書いたのではなく、もしかすると、
いまの時代が生み出したものであり、ほかにも「代理」を描いた作品が多数あるのかも知れない、
と考えてしまった。
なぜ、自分が自分ではないのか。
四つの作品の「代理」たちはみな、「自分ではないなにか」の立場を自ら引き受けたり、
また甘んじているようでもありながら、みな、もがいている。
自分から自分を捨て、代理という運命を背負い、さらにその運命に逆らおうとする。
自分をみつけたいのではもはや、ないのだろう。
四作品を作りながら、わたしが知ったのは、
成り代わることは、たぶん、伝えようとすること、だった。
「代理」たちがなにを伝えようとし、どうして伝えようとするのか。
この作品を離れてもきっとまた、わたしは考えることになりそうです。
写真は「彼らは雨を連れてやってくる」(作/森海月)から。森海月ってわたしです。
(以下、本日も敬称略にて)
本には書いてあるが、作品を観ても台詞には出てこないのが、この清掃員たちの会社名で「ウルトラマリン」という名前である。(実はつなぎの背中にアルファベットで書いてあるけど、話には関係ないので気づかずとも良いのです)
4編のラストにあたる、藤倉みのり、中村優芽の出演を含めた部分を別にして、1本目と2本目の間、2本目と3本目の間のシーンを稽古場では、よく「ウルトラマリン」と呼んでいた。
その「ウルトラマリン」の4人が、彼らである......。
これがわたしにとって、いまだかつてない、なんといっていいか......。
ほんとうになんといっていいかわからないメンバーだった。
彼らは稽古に集まると、
・労働または学校または理由がわからないが、全員くたびれている。
・しかしいつでも、誰もが即効でつなぎに着替える。
・着替えるときは必ず稽古場の真ん中で。パンツを見せ合う。
・疲れている癖に、稽古前に全力でバレーボールなどやる。
・さて稽古してみると、なにかふにゃふにゃしている。
・なんだろう。これは。
・本か、本なのか!?
・しかしなにか、目に見えない絆を感じる。これは、なんだろう。
・芝居以外の会話を聞いてみたら、世代ギャップのせいで会話になってない。
・と思ったら、下ネタでつながっていた!
といういろんな意味でわたしをウルトラ超えていた「ウルトラマリン」だった。
ひとりずつは上手い役者であり、またたいへん芝居熱心なのだが4人揃うと、なぜああいう空気(オーラ?)になるのか、自分たちでもわからないのじゃないか。
いつか「ウルトラマリン」で一本の長編をやるから、つなぎを大事にとっておくように。
それはそれはすごいだろうよなあ。
ラストの作品はつながりの部分のラストシーンでありながら、ひとつ独立した作品にもなっており、
堀広希はこれに悩みながら挑戦してくれた。
広希とはさまざまに話をした。わたしは苦労したとはまったく思っていない。
振りかえって、充実した、気持ちのいいセッションだったと思う。
藤倉みのりとの二人のシーンは、稽古を見ながら涙を落とした。
今回の稽古場でがまったく、椅子に座ってじっとしている暇がなかったが、それとまた別に、
平気で涙を零したなあ。
藤岡豊のテツ、そして伊藤浩樹のシュンがいなければ、この作品はそもそもなかった。
平山寛人は彼らのアニキでいてくれた。芝居は終わったが、彼ら3人にとって、キンキンさんは
ずっとどっかしら心のアニキだろう。
短編の間に転換と同時に芝居を挟んでいくという案は、企画段階で決めて、作家らには意図を説明してあった。
この構成がかえって観客を混乱させてしまわないかとも思ったが、こうすることにして、いろいろ配慮・工夫はしてみた。
結果、これがあったから見やすかった、ばらばらの話が不思議となにかつながって見えた、という方たちもいるし、やはりこれがあるからわかりにくかったという方もいて、ひとつのやり方を選択した以上これはもう、仕方がない。
間に挟む部分については、ふつうならもう少し尺を短くするところだと思うのだけど、これもわたしはあまり、どこか見慣れた形にするのを避けた。
いろいろ計算はしたし、全体が繋がるとどうなるか、何度も頭には描いてはいたものの、
実際繋げて観るまでわたしにもわからず、通し稽古までは不安と共にたのしみでもあった。
「意味」や「言葉」より、空気のようなもので繋がっていくことを試みているとも言え、
それを劇という毎日が少しずつ、変化していくものでやるのだから、
本番は「ウルトラマリン」の微妙な按配で、繋がった感じがとてもするときと、どうもなにかが......という回があったように、わたしには思えた。
役者たちは毎回ちゃんとやっていても、それはそうなる。内容の問題なのだ。
このようなことはわたしはこれまで、長編であっても同じことをやってきたところがある、だのにいまだに「定着」させる方法というのが、わからない。
ただわたしが感じることや狙いとはまた別に、舞台の役者たち自身や、客席のひとりひとりが、
それぞれ感じとっていくなにかが、確かにあるのだと思う。
初日のお客さんである、マイケルさんが、我らのウルトラマリンを、天使のようだった、
「背中に、羽が見えた」と言ってくれた。ありがとう。
たぶん、ほんとうに、彼らの背中には羽がある。
ああ、だから飛んでっちゃうんだ!
「オドル」からもう一枚。
あの曲はピアソラの何ですか? と高木くんや、受付のお手伝いをしてくれたトミザワさんに聞かれたのに、答えていなかった。ここに書いておく。
「タンゴ:ゼロ・アワー」というCDから(これ全曲いいですよ)、「タンゲディア3 」という曲でした。
ライナーノーツによると「タンゲディア」は、スペイン語でタンゴ+悲劇(トラヘディア)+喜劇(コメディア)の造語とある。
タンゴ+悲喜劇。素敵だ。
照明志村さんとは、この「オドル」で色を使うためにほかは色を押さえる、とした。
志村さんの明かりはとても繊細で、写真などではその美しさが充分には伝わらない。
こればかりは生で観てもらうしかなく、後には残らず、少し切ない。
長く志村さんに組んでいただくうち、なにかどんどん、我々独自なやり方が出来てきた。
どんなふうにわたしが照明にオーダーしているのかは、企業秘密である。
だがどうなってるかなどわからなくても、それは、シーンの重要な空気を占めている。
劇場であなたが光に、または闇に気づいたときは、もうずいぶん前からひっそり、ひっそり、
我々が忍び寄っていたのだ。
写真は「オドル」(作/藤岡豊)から。(写真をクリックすると大きく見られます)
ゲネのときの写真なので、優芽ちゃんは衣装じゃなかったんだね、残念。
(*以下、本日も敬称略にて失礼します)
この本はたぶん読むと、「...え、なあに?」っていう本だ。
と、これでも遠慮がちにそう書いておく。
しかしわたしは「ふむふむ」と読んだ。
藤岡豊とは、四年前のシエラザードに出演してもらって以来の飲み友達であり、藤岡豊はそれ以降、時々、文を書いてはわたしに送りつけ、わたしに全力で読み込むように命令してきた。
なぜ。だがその不条理に巻き込まれてきた甲斐があったというものだ。
わたしはいっぱし、藤岡豊ワールドの理解者、いや、立派な一ファンとなっていたのである。
で、ただでさえ、わけのわからない本に、わたしは紙テープを持ち込んでみた。
紙テープの前に、紙吹雪(色水を色紙で表現する)があった。
水を巻くというのは小さな舞台では、かなり無理が出てくる。
執筆中の藤岡から相談のメールがきて、幾つかの方法を提案し、「紙」にしてみるのはどうかという案に彼がのってくれた形だった。
上がった本を読んだときに、更に、紙テープを使う絵が浮かんだ。
二人で端と端を持ってピンと張り詰めた紙テープ、とか、ぐるぐる巻きになるとか、千切るとか...。
と、稽古に入る前に伊藤浩樹に酒を飲みながら話したら、
伊藤浩樹は目を黒~~~くしてわたしをみつめ、
「いいんじゃないすかね。千切ったりすると、女の子の持つ残酷さも出て」
と呟き、よくわかんないけどなんかすげえイトウヒロキ、とよく思うことをまた思った。
けど、演者である明日香がいなくては実現できなかった案だ。
楽そうにくるくる紙テープを操りながら動き、喋っていたが、試しにあなた、やってみてほしい。(やらなくていい)
わたしも、白リボンを持って稽古場を走り廻った(え!? ええはい45歳ですがなにか)が、はあはあ、ぜいぜいだった。くるくる回るのは1回でもう無理で、吐きそうになった。
板倉美穂はすごかった。さすが彼女はダンサーでもある。
ただ身体能力が優れているだけでなく、彼女には相当、抽象的なことを言いっぱなしにしてきた。
わざとそうしたわけではない、美穂がわたしが言いかけたことを、すぐ理解してくれたので、砕いた言葉で説明する必要がなかったのだ。
さて本番を観て、「紙テープが、関係性なんですね」と言葉にしてくれたのは、記録用のビデオ撮影をしてくれたドンちゃんだけだったので、うれしかった。
けどもちろんそこも、言葉にしてもらうためでなく、なにかを感じとっていただくためのことだ。
出演者最年少である小学生の中村優芽にはものすごく難しい役を演じてもらった。
作家藤岡には「いかにも子役という役を出すのは嫌い、きみなら違うものが書ける」と口説いてはみたが、読んだら、子供でさえないんだもんな! すごいよなあ藤岡豊も。
優芽には蔦美代子振付による(曲はピアソラで!)ダンスも猛練習してもらった。
でも、もっと苦労してもらったのは平山寛人だっただろう。平山寛人の演じる「ヒキガエル」の台詞と寛人自作のオドリに、わたしは稽古場でいちいち、泣いた。
「なんだ...世の中まだ御伽噺じゃねえか......ってな」
という台詞が、本作のなかで、わたしはいちばん好きだったのだが、それもヒキガエルの台詞だ。
藤岡豊の本も、宮下隼一の本とある意味同じように、わけわからないようで、理屈でできているところがある。ただし、藤岡豊の本のほうが、その理屈があまり全面に出てくると、おもしろみ(複雑味)を失ってしまう恐れがあるように、わたしは思う。
本は何度もの話し合いで手を入れてもらった。彼は粘り強く応えてくれ、ずいぶん深く話すことになった。わたしにとってそれは、とてもいい経験だった。
この「オドル」がいちばん好きだったというお客さんはみんな、職業問わず、
「アーティスト」なのじゃないかな。
(ちなみにスタッフ内でもこれが評判良く、わたし含めほかの三人の作家は頭を寄せ合い、
ヒソヒソした)
稽古も観てくれた桃ちゃんが、「長新太の絵本みたい」と言ってくれていたけど、
大人と子供のための「飛び出す絵本」みたいな作品を、藤岡豊ならたくさん生み出せるのじゃないかと、これからに期待しながら、ヒソヒソすることにしよう。