写真は「悪意の研究」(作/高木登)から。(写真をクリックしたら大きなサイズで見られます)
きのうと同じく美術大島さんがゲネのときに撮影したのを送っていただいたもの。
カメラマンにスチールを撮ってもらう余裕がなかったのだ。でも、これも、良い写真でしょ。
もっと写真いっぱい見たいよう、というワガママは言わないでくれたまえ。
(*以下本日も敬称略にて、失礼いたします)
高木登とは彼の舞台を拝見してからのつきあいで、演出が難しい本だろうなあと思いながら、
わたしが演出したらどうなるんだろう、と無謀・無思慮にも思い、それをそのまま彼に話してから、
結局二年くらい経ってからだろうか、今回参加のお願いをした。
高木登自身が作・演出をする「鵺的」の旗揚げの年にぶつけてしまったのは、わざとではない、
でもちょっとわざと。盛り上がるかなあと思って。ははは。
今年8月、旗揚げ公演にあれだけ入魂の作品を書いて、演出もしてから、こちらの短編を書かなければならなかった彼はほんとうにたいへんだったと思う。
いま言うけど、わたしなら、絶対にできない技だ。
そんなわけで彼がへろへろ(見た目)で書きあげたのが本作「悪意の研究」である。
高木登作品とは常に高木登印、のようでいて、この本は短編ということもあって、彼のいつもの作品とは少し趣が、違う。
しかしどんなふうに違うかは、わたしにはうまく説明できない。
(いつか彼が自分でうまいこと解説を書いてくれるのではないかしら)
ただ、高木登作品をもしわたしが演出するなら、と漠然と思っていたのは、彼のみっしり詰まった本のなかの「余白」や「余り」の部分を出してみたい、ということだったのだけれど、この本にはもともと余白や余りの部分が強かったと、わたしは思っている。
それで、せっかく高木演出とは違った吉永演出をお見せする機会なのだろうけど、特にあまり、変わった方法はとらないことにした。シンプルな料理方法で、ということだ。本を繰り返し読むうちに「これ、余計な味付けはしないほうがいいな」と思ったのだ。(隠し味は入れた。けど隠しなので隠しておこうかな)
ただし、本が上がるのが稽古開始のギリギリであったため、かなり焦りながらの考えではあった。
それと同時に、この本は藤倉みのりに芝居の芯をとってもらおうと思った。
わたしが彼女にそれがどういうことなのか、きちんと説明する前に、彼女はしっかり応えてくれた。
だから完成した作品は、わたしにとって、みのりの力によるところが大きい。
キャスティングは四編すべて、本を書く前にだいたいは決まっていたが、特に、高木登は「あて書き」をするというので、執筆の前に決める必要があった。
藤倉みのり、明日香、高校1年生の板倉美穂、の女性陣をメインに、高木作品を演じてきた平山寛人(鵺的所属)の力を借りたいとわたしからお願いした。
後から登場する、嫌味な刑事役を格好良く演じてくれたのが彼である。
本番は回を重ねるごとに、「あの刑事には本気でむかついた」
「一言言わせて、あの刑事むかつく!」と男女問わずお客さまからの声が多くなり、
しまいには「客席から舞台に駆け上って後ろから蹴りを入れたかった」となり、そう言う方は必ず、
「でもあの話がいちばん、好きだった」「でもあの刑事を演じた役者さんがいちばん良かった」
と言ってくださり、これはとてもうれしかった。
もうひとつわたしの友のひとりから、「声がフクヤママサハルに似ていてウットリ」
という感想もあったが、うんそれは、どうだろう。
なぜ高木登作品を四短編のトップバッターにもってきたのか?
という質問も何人かに頂いたので、ここにも書いておく。
それは単純なことで、企画の段階から決めていた。
高木登の本が基本的には「会話劇」だからで、会話のなかで徐々に関係性がわかっていくというものであるから、観客がいちばん、集中して観られる冒頭がいいと思ったからだ。
あんな後とかあんな後にして「悪意の研究」の冒頭が頭に入らなかったりしたら、困る。
ああいう作品がもっと観たかった、という方は、ぜひ、「鵺的」の来年6月の公演を。
高木登ワールドにどっぷり浸ってください。
ワールドだが、高木登はきっと、今後またどんどん書くものが変わっていくのではないかと、
わたしは密かに思っている。
変わって、変わらないだろう、たのしみだ。