「楽日、おめでとうございます」
経験豊富なアライ先生やミノリさんが言った。
そうか、無事に楽日を迎えられるということは、おめでたいことなのか、と思った。
今日で終わりだから、なんて野暮は誰も言わない。
そこには触れちゃいけないかのように、いつもと同じ本番前の光景が広がっている。
ヒラヤマさんは仮想パスタの皿を器用にくるくる回しているし、喉をやられてマスク姿のユタ氏はストレッチを入念に、イトウヒロキ君はリラックスして舞台に寝転がっている。
アスカ先生とユメちゃんとミホちゃんとが発声練習を始めれば、皆がふらっと参加する。
アライ先生はマ行の練習で「まめまめまめまめ」言っている。
ミノリさんは口癖で「ぺえぺえぺえぺえ」言っている。
ホリヒロキ君が突如バレエのステップを踏み始め、大爆笑が起こる。
照明のシムラさんは「なんだよ」つって表で煙草を吸い、舞台監督のフジモトさんはぼくに悪戯して僅かな暇をつぶし、助手のウオズミ君は相変わらずなんかかっこいい。
音響のナガノさんとヒナミさんは最終チェックに余念がなく、ビルを作ってくれた美術のオオシマさんは、きっと今頃、本番が無事に終わりますように、と祈っている。
日参している作家陣、タカギさんやミヤシタさん、制作のハヤカワさんは落ち着いた様子。
受付を手伝ってくれた細田刑事も相変わらず何か小難しく考えている。
肝心の演出家ヨシナガアヤは、劇場の入り口の階段の下から空を見上げる。
台風一過、今日も晴れてよかった、と言わんばかりに。
すべてはいつもと同じようでいて、でも誰もが『今日で終わり』ということを知っている。
そうやって本番が始まった。
なんだかいつもと違う。
下袖から窺っただけでも、みんな楽しんでいることがわかる。
『悪意の研究』のアスカ先生、ミホちゃん、ヒラヤマさん。
いつもより激しく感情をぶつけ合っている。
『Fool On The Roof』のアライ先生はいつもに比べて自分の台詞の間をたっぷり取っているし、ユタ氏は喉をやられているのに限界突破するほど声を搾り出している。
なんだ、ず、ずるい、負けてたまるか。
おしりダンス、下袖に帰りたくないよう、ずっとずっと、おしり振っていたいんだ、という思い。
下手だけど、動き硬いけど、今までの二ヶ月間があの腰つきに集約された。
終わった後、抜け殻のようになって、最後の場面を観に行った。
舞台上にはホリヒロキ君、ミノリさん、ヒラヤマさん、ユメちゃんがいて、輝いて見えた。
こうして照明音響ブースの横で舞台上を観るのも最後だ。
明日になれば、この夢から醒めてしまう。
明日はたぶん、午後から雨だ。