写真は「Fool On The Roof」(作/宮下隼一)から。
美術の大島さんがゲネのときに撮ってくださったもので、この写真を見て、
「おお? かっこい~じゃん!!」とわたしと宮下で思わず大笑いしてしまった。
(写真をクリックすると大きな画像で見られますよ)
さて上演順で書き出さないで、いきなり2番目から書くのださすがわたし。自由。
(*以下敬称略にて、失礼します)
「Fool On The Roof」は、いちばん、わけがわからない作品だったろうけど、
これがいちばん、おもしろかったというひとが多かった。
そしてこの作品がいちばんおもしろかったというひとはたぶん、
四編全体をたのしんでいただけたのではないかと思う。
作家の宮下隼一自身が「わけのわからないものを書く」と言って書いたものだが、
ほんとうのことを言えばこの本は、わけわからなくはない。
宮下隼一の作品は非常にしっかり、骨ができている。
だから演出としてはかなりムチャしてみたって、だいじょうぶ、で、役者にとっても、
安心して泳ぎ回れる本だったのではないかと、思っている。
もちろん、出演者である3人、荒井靖雄、藤岡豊、藤倉みのりはそれぞれに、役者としてこれは
たいへんな挑戦であると稽古に臨んでいた。
稽古は、後半に登場する「上からの女」役のみのりを後からの参加にして、
「屋上の男」と「下からの男」である荒井・藤岡の二人ではじめた。
まずは絵作りをしながら作品世界を説明していったが、作家宮下をそっちのけで、あくまでわたしが本の説明をしているのに、周りはけっこう、驚いたかもしれない。
それに戸惑うことなかった荒井は、そもそも難しいことをやるのが大好きで、難しいということ自体に浮かれまくっていた。
またそんなことに戸惑う暇もないほど藤岡は頭が混乱していて、どちらも可笑しかった。
宮下もわたしに任せてくれつつ、彼らに、手助けとなる言葉をたくさん投げかけてくれた。
(主に飲み屋で)
そうして一歩ずつ、こっちの岩に足を駆け、あっちの岩に手をかけて、
と、山を登っていく稽古となった。
まさに上からの女が稽古場に「現れた」ときは、二人にとって、約20分の短編のまだ約半分が、
既に90分の作品かのように肉体的にも精神的にもハードだった。
ともかく穴は掘った、あとはここにみのりが落ちてくれれば、というところだったが、
みのりも全力で落ちてくれた。いやいや、それから共に手をとり山を登ってくれた。
本の第一稿をもらった段階で、役者たちがSEを声で出す(音響で出すSEと分ける)案を出して、
相談の上、二稿以降から本に取り入れてもらった。
またゴミだらけのビルの屋上という設定を、新聞紙のみで(そこに埋もれた脚立も)、という絵が浮かんでいたのも、初稿を読んだときからだった。
これがオムニバスの二本目なので、暗転中に舞台上が新聞紙だらけになっている、ということがやりたくて、舞監フジモトには無理をお願いした。
演出というのは、アイディアを定着させるスタッフの力がなければどうにもならない。
が、ただただスタッフに頼る前に、やることがある。稽古場でのテストだ。
それで毎度、新聞紙を持ち寄り、みんなで一枚ずつくしゃくしゃにする作業(そしてゴミの持ち帰り)の繰り返しになった。なんだかこれも日々の可笑しな風景だった。
でもマジメな話、芝居作りにおいて、アイディアは大事だが、もっと大事なのはテストを重ねることだ。簡単そうで、これまでわたしがなかなか出来ていなかったことで、今回必ずそうしようと決めていた。
ま、その程度のわたしに演出とは、なんてことはなんにも言えるはずはないのだが、
これから小劇場で芝居を作る、演出をはじめてやってみる、というひとがわたしのそばにもいて、
そういうひとはわたしと同様、すごく飢えているはずだと思う。
だから、わたしでもひとつくらいは、言えることを言っておこう。
思い描くだけでなく、思いついた順にすぐに、とにかく稽古場で試せることは試すこと。
不完全なカタチでいい、不完全だと稽古場では「ええ~~?」という雰囲気になることもある、
でもそれを気にしていてはだめだ、試すことでカタチは変わっていく可能性が大きい。
カタチが変わることは、意味が変わっていくことでもある。
どんなことも、テストするまでもない、とはなるべく思わないほうがいい。
役者たちは稽古場で試すことをちゃんと知っている。
わたしたちも、身体で知ったほうがいい。これがわたしのひとつだけのアドバイス。