45歳である。
キリがいいから、あれ幾つだったっけ? と自分の歳を忘れがちなのに、今年は忘れない。なにかにつけ、45歳だなと思う。オバサンが堂々と何度も自分の歳を書くのもなんだろうが、45歳だ。関係ないけど、フォーティファイブという名の服屋さんが好きだ。なんの話だ?
七夕の夜、菅野よう子コンサートにさいたまへ出かけたのは、朋友(ほう! ...古くからの友だからそんなふうに言いたくなる)、荒井靖雄が珍しくダンス&パフォーマンスで出演するということだったからだ。
アライセイユウとは、同い年である。
そもそも、役者アライセイユウと、はじめて一緒に劇を作ったのは、いったい何年前になるだろう。と考えても、正確なところが思い出せない。だいたい17年前くらい?(わたしの記憶はすべてにおいて「だいたい」である) いまはお互い若くはないが、当時も若くない。そんな同い年だ。
セイユウは振付師、ダンスの先生としても活躍しており、近年はめったにダンサーとしての出演はしない。45歳だから。というのは違う。さいたまスーパーアリーナ1万6千人の観客に、マイクで「あの、いま半裸で踊ってるひと45歳」と言ったら、1万6千人の「えー!」が聞けただろう。(もしほんとにそれを聞いたら、さぞかしヤツはウキッとするだろう、そう思うといま少しむかついた)
彼はやり過ぎでは、とはたがハラハラするほど身体を鍛えており、この数年の彼のダンスはなにか、ふつうではない輝きを放っている。若いひとが踊るのとはなにかが違う。知ってはいたが、あらためて凄さを感じた。おそるべし、セイユウ45。フォーティファイブ。
ところで彼を見ていたら、芝居とダンスの演技の差みたいなものについて感じるところがあった。
芝居は、だれそれであるという役者が、だれそれという名の人物を演じる。
こういうコンサートでのダンサーは、だれでもない、名のない役なのだな、と思ったのだ。それも、彼には「できる」のだ。
オープニング、主役である音楽家が光のなかに登場して、拍手と歓声で場内が湧きあがるその瞬間、フラッグを掲げひるがえし、ステージ奥へと、闇へと走りこんでいく、その名のない役である彼をみつめていたら、なにかふいに胸を打たれてしまった。うつくしくて、つよかった。
誉めすぎたか。
セイユウについてはまだまだ、後日「ゴゴアメ・メンバー」のほうへも書く。
セイユウの名のある芝居のほうは、近々、8月に観られる。リンク集にあります「鵺的」公演に出演、「鵺的」についてもまたちょくちょく書きます。ぜひご注目を。